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2015年4月15日 (水)

松陰の「志」ということ

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   NHK大河ドラマ「花燃ゆ」。宣伝によく使われるこの集合写真は仔細に見ると、奇妙な感じがする。「青雲の志」を表現したいのであれば、背景の茜色が気になる。中央にいる正面向きの文の表情が共演者たちとイマイチ溶け込んでいない。おそらくCGによる合成のためだろう。偽装は松陰の最も忌むところではないのか。第15話の視聴率がついに1桁台に落ち込んだ。NHKが莫大な製作費を投じている看板番組、そして時代は幕末、吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作といった歴史上の「英雄」が登場する。つまらないはずがないのに何故か共感できないのが不思議である。ドラマの中で塾生たちが「志(こころざし)」という言葉が繰り返し出でてくる。「花燃ゆ」は真の「志(こころざし)」とは何かを問うドラマなのだ。だが現代は「志」のない時代といえる。若者に「志(こころざし)を持て」と説いてみても、社会は固定化して、何ができるというのか。15話の文(井上真央)の台詞に「英雄なんかならんでいい」とあった。もちろん松陰や塾生たちは英雄になろうとか、高位高官に就くことなど一片も考えていない。演出家、制作者、スタッフは維新の志士のカッコいい英雄像を描きたいのであろうか。「青雲の志」という語は個人によって、まったく別の意味にとられるという。ふつう辞典で説明しているのは「功名を立て立身出世する」の意味で明治の立身出世主義である。別の意味は、正反対で、高位高官や英雄になることではなく、大きな理想を掲げて努力することである。松陰や塾生たちの「青雲の志」がどちらであるか云うまでもあるまい。個人の栄誉や利益を目的とした「志」などは、とるに足らぬことであることは松陰もその家族も分かっていることなどで、「英雄なんかならんでいい」という言葉は今さら言う必要がなかろう。だが番組の評価は別として、松陰を中心として日本近代の出発点となった幕末維新を今改めて考えることは意義深いことであろう。

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