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2015年4月 2日 (木)

ゴシック建築と大聖堂

Photo_2  ロマネスク様式に続き、12世紀中頃から15世紀にいたるまで、ヨーロッパを風靡した美術様式をゴシックという。ゴシックという言葉は、ヴァザーリ(1511-1574)により、「ゴート人による野蛮な建築様式」として軽蔑的に使用されたのが最初である。ゴシック美術の再評価がなされたのは19世紀、ロマン派の芸術家たちによってであった。彼らは中世ゴシック美術のなかに、幻想性と崇高な美を見出したのである。

  12世紀半ばになると、王領イル=ド=フランスを中心とする各司教座都市で大聖堂の建立事業が始まった。修道院院長シュジェールは、信仰を導く手段としての光の重要性を説き、神の館をできるだけ豪華に飾りたてることで神の栄光を讃えようとした。1144年に献堂された内陣には、尖頭アーチを用いた肋骨交差穹窿が、ステンド・グラスを嵌め込んだ大窓とともに組織的に活用されており、これはゴシック建築の最も古い作例のひとつに数えられている。

   サン=ドニで打ち出された新しい建築意匠は、ときを移さず、サンス、サンリス、ラン、パリなど、周辺の都市の教会堂建築へ伝播した。イギリスでも、大陸のこうした動きと並行して、カンタベリー大聖堂の再建事業がフランス人工匠長の指揮のもとに行なわれた。

   12世紀末になると、聖母へ捧げられた本格的なゴシック聖堂が各地に建設される。ブールジュ、シャルトル(画像)、ランス、アミヤン、ボーヴェなどのフランス各地の大聖堂、イギリスのソールズベリー大聖堂、マールブルクのザンクト・エリーザべト聖堂やケルンのザンクト・ペーター大聖堂などを挙げることができる。

   しかし、14世紀に入ると、教会の大分裂、黒死病の大流行、英仏百年戦争の荒廃によって、封建社会が揺らぎ出し、大聖堂造営のような大規模事業はほとんど見られなくなった。(参考:高階秀爾「西洋美術史」美術出版社、世界史)

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