虞美人と呂雉
宝塚歌劇でかつて「虞美人」が大ヒットした。原作は長与善郎の「項羽と劉邦」である。項羽の寵姫・虞美人の「美人」とは、王に仕える女官の身分上の呼称(官名)であるが、ほんとうに美しい女性であったのか、司馬遷の史記には何も記していない。項羽と死ぬとき一緒だったとも記していない。くわしいことは何もわからないが、「虞美人草」という花が雛罌粟(ひなげし)の異名であるように、愛姫の死を後代の詩人たちが憐れんだのであろう。
一方の劉邦の正妻である呂后(りょこう)については史記に詳しく記されているが、あまりに残酷で中国史上に悪名高い女性である。ライバルの側室の手足をきりとり、眼球をぬきとり、耳を焼き、唖になる薬を飲ませて、厠室(天井の低い小室、つまり便所)に押し込んで、人彘(じんてい)と名づけて、生き殺しにした。人彘とは人間ブタ、つまり古代中国では排便の処理を飼っていたブタに始末させていたので、ブタ便所なるものが存在した。つまり史記の記述は本当の話なのだ。楚漢戦争のヒロインが可憐な虞美人が虚構で、人間業とは思えない悪行の限りをつくした呂后が史実とは、なんとも歴史とはおそろしいものである。呂后は、近年は呂雉(りょち)とも呼ばれる。劉邦の邦は名なので、呂后も名の雉(ち)で呼ぶほうがバランスがよい。一説に呂雉は秦で繁栄した呂不韋の一族という説もあるが、史記や漢書には記述がないため真相は不明である。(参考:鎌田重雄「劉邦とその妻」 桃源社)
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中国の美人画像扱ってます。ぜひ見てみてください。
投稿: | 2010年2月22日 (月) 16時20分
中国史は凄惨な記述が多いですね^^;
ただ、元ネタはスキタイの伝説とか、もっと
西方から伝わっていることが多いようです。
古今東西、庶民は権力者層の残忍な結末
を望んでいたということの表れかもしれません。
そう考えますと、人間の心はコワイですね><
投稿: まきば | 2010年2月25日 (木) 15時04分