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2015年4月 7日 (火)

志賀直哉論

Photo_2   志賀直哉の人間形成に最も強く影響を与えた人は、内村鑑三であろう。明治45年の志賀の日記には「自分は自分を真(し)ンから愛するようになった。自分は自分の顔を真(し)ンから美しいと思うようになった。自分は自分ほどのエラサを持った人は余りないと信ずるようになった」といい「自分の自由を得るためには他人をかえりみまい。……他人の自由を尊重しないと自分の自由がさまたげられる。二つが矛盾すれば、他人の自由を圧しようとしよう」と書いている。

    やがて志賀直哉は内村鑑三から去って、宗教から文学へ代わっても、かれ自身が自分の「主人」であった。しかし、志賀のこの「自己信奉」は、そう簡単に手に入れられたわけではない。西洋の思想家たちが唯一神を相手にするのに対し、東洋人である志賀は汎神論的で、「神」を言わず「自然」を言う。この「自然」の子である人間が持つ混沌たる「我」が「調和」によって、「自然」に帰するためには、激しい戦いを経験しなければならなかった。この自己との戦いという点では、内村鑑三から触発された西欧的思想人の影響があるといえるのではないかと、尾崎一雄は述べているが、当たっているように思われる。

   この自己肯定の志賀直哉に、太宰治が噛みついたことは有名な話である。「暗夜行路」に対して、「大げさな題をつけたものだ。……この作品の何処に暗夜があるのか。ただ、自己肯定のすさまじさだけである。……」と太宰は攻撃する。自分の存在について「生まれてすみません」としるし、「人間失格」を書かざるをえなかった太宰(かれのペンネーム「太宰治」も、おそらく「堕胎児」に由来するのであろう)にとって、「自己肯定」は偽善としか考えられなかったのである。「自己肯定」の志賀と「頽廃」の太宰との二人の間には、近代日本文学の根底に深い溝が垣間見える 。(参考文献:「内村鑑三」清水書院)

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