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2015年4月20日 (月)

もともと「安全第一」は三番目だった‼

Safetyfirstwarningsignconstructions   よく工事現場などでみられる看板「安全第一」。いつ頃、だれによって作られたのだろうか?1906年、アメリカでは多くの労働災害が発生していた。製鉄会社、USスチールの社長エルバート・ヘンリー・ゲーリー(1846-1927)は当時の「生産第一、品質第二、安全第三」という会社の運営方針を見直し、「安全第一」とした。この方針が実行されると、労働災害はたちまち減少し、生産性も向上した。この標語はたちまち全米に広がり、やがて世界中に普及するようになった。日本では大正元年(1912年)古河鉱業足尾鉱業所長の小田川全之(おだがわまさゆき)がアメリカで提唱されていた「セーフティ・ファースト」を「安全専一」と訳して標示板をつくり、所内の安全活動を推進した。「安全専一」は昭和になると「安全第一」として標語が定着した。Elbert Henry Garry

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                                                    小田川全之(1861-1933)

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エルバート・ヘンリー・ゲーリー

 

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