文学者の自殺
芥川龍之介(1892-1927)は、生前、自殺について「自殺しないものはしないのではない、自殺することのできないのである」(「侏儒の言葉」)と語り、昭和2年7月24日未明、自殺している。夫人の芥川文子(1900-1968)は「お父さん、良かったですね」と彼に語りかけたという。妻の文子は龍之介の芸術への真摯な生き方へのよき理解者だったのだ。遺された三人の子供、芥川比呂志(1920-1981)、芥川多加志、芥川也寸志(1925-1989)を抱えての夫人の生活はたいへんだったであろう。文学者の自殺は有島武郎、太宰治、三島由紀夫、川端康成など多様であるが、そこには、孤独な内面と作品の終結宣言が秘められている。
太宰治(1909-1948)は39年の生涯で5回の自殺未遂を繰り返し、昭和23年6月13日に玉川上水で愛人山崎富栄(1917-1948)とともに入水自殺した。そして「生まれてすみません」という太宰の自殺願望は芥川の自殺の影響が大きいことはよく知られている。昭和19年7月に発表した「津軽」には次のようなことが書かれている。
「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で」
「そうして、苦しい時なの?」
「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっているはずだがね。もう、これ以上は言わん。言うと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ」
芥川龍之介や太宰治らの作家の自殺願望はいったい何時から始まったのだろう。森鴎外が明治44年に発表した「妄想」という小説の中にはドイツの哲学者マインレンダー(1841-1876)の事が書かれている。
自分はこのまま人生の下り坂を下って行く。そしてその下り果てた所が死だということを知っている。しかしその死はこわくない。人の説に、老年になるにしたがって増長するという「死の恐怖」が、自分にはない。若い時には、この死という目的地に達するまでに、自分の眼前に横たわっている謎を解きたいと、痛切に感じたことがある。その感じがしだいに痛切でなくなった。しだいに薄らいだ。解けずに横たわっていても謎が見えないのではない。見えている謎を解くべきものだと思わないのでもない。それを解こうとしてあせらなくなったのである。そのころ自分はフィリップ・マインレンダーのことを聞いて、その男の書いた「救済の哲学」を読んでみた。この男はハルトマン(1842-1906)の迷いの三冊を承認している。ところであらゆる錯迷を打ち破っておいて、生を肯定しろというのは無理だと言うのである。これは皆迷いだが、死んだって駄目だから、迷いを追っかけて行けとは言われないはずだと言うのである。人は最初に遠く死を望み見て、恐怖して面をそむける。ついで死の回りに大きい圏を描いて、震慄しながら歩いている。その圏がようやく小さくなって、とうとう疲れた腕を死の項(うなじ)に投げかけて、死と目と目を見合す。そして死の目の中に平和を見出すのだと、マインレンダーは言っている。そう言っておいて、マインレンダーは三十五歳で自殺したのである。自分には死の恐怖がないと同時にマインレンダーの「死の憧憬」もない。死を怖れもせず、死にあこがれもせずに、自分は人生の下り坂を下って行く。
マインレンダーとはどのような哲学者なのであろうか。ショーペンハウアー(1788-1860)の厭世哲学(ペシミズム)を信奉し、自殺を賛美して自ら生命を絶ったらしい。日本で早くにショーペンハウアーの名前を知った鴎外が、このマインレンダーを「妄想」でとり上げた。しかし、鴎外は直接にマインレンダーの著書を読んだわけでも、詳しいわけでもないのだが、鴎外の著書に現れたということで、日本ではなんとなく、憂愁の大哲人のような印象をもたれたようである。そのため、芥川龍之介などは、自らの遺書とした「或旧友へ送る手記」の中に、自分の最後の心境を代弁してくれる人としてマインレンダーの名前をあげている。さてご本尊のショーペンハウアーといえば、すぐペシミズムと連想されるが本人の著書には、「ペシミズム」という言葉は一度もないという。自殺願望、厭世主義というレッテルは誤解によるものである。現在の研究によれば、ショーペンハウアーの哲学は、生と世界に対する根本的な懐疑と怖れであると同時に、救済希求の闘いであり、「生の哲学」というべきものであろう。ショーペンハウアーは、1860年9月21日、72歳でフランクフルトでなくなっている。森鴎外のかなり杜撰な西洋哲学の紹介が、日本の文壇の青年作家に誤解を与え、自殺願望を植えつけたという一面もあるのではないだろうか。
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39才です。
宗教と哲学の好きな変わり者です。
中学時代に貪るように読みました、芥川龍之介。
彼の最期は、仏もキリストも哲学も信じることができなくなる一方、生活苦という現実と文学者としてのプライドが後押しをして、自殺に至ったのだと思っています。彼の晩年の文献にはショーペンハウエルが再三登場します。自殺論主義者として。
例えば、72歳までショーペンハウエルが生きることなくきっぱりと自殺していたら、もしかしたら彼は死ななかったかもしれない。あるいは、儒教的思考をやめて、宗教的思想を自分に刷り込むことができていたなら、やっぱり自殺をしていなかったと思うのです。
投稿: 通りがかりのものです | 2007年10月14日 (日) 01時48分
コメントをありがとうございます。芥川の「唯ぼんやりとした不安」という遺書の意味は永遠の謎かも知れません。枕元にある聖書も不可解です。キリスト者は自殺しないと聞いています。芥川の病気説、女性関係いろいろあるようですが、やはり可愛い三人の子供たちを残しての自殺は理解に苦しみます。
投稿: ケペル | 2007年10月15日 (月) 17時38分
初めまして。38歳(♂)通りすがりの者です。
最近、芥川龍之介集を読んでいて「或旧友へ送る手記」に出てくる(マインレンダー)という人物が気になり調べていた所、ここに立ち寄りました。
森鴎外が芥川より以前にマインレンダーについて書いていること等、知ることができて感謝です。
(「救済の哲学」訳本は出てるんでしょうか?)
今後は、ラディゲの本を読んでみようと考えています。
ご挨拶までに。(ちょこちょこ見に来たいと思ってます)
投稿: cosmos | 2007年12月22日 (土) 15時22分
初めまして、君塚正太と申します。芥川のように死んではいませんが、かく言う私も自殺未遂を三度したことがあります。私自身、小説家ですが、気持ちの良い時は生への充足があります。しかし、その反対に季節によって、激しい鬱状態になって、自殺を考える時がしばしばあります。ぼんやりとはしますが、芥川や太宰の気持ちは分かる気がします。
投稿: 君塚正太 | 2008年1月 3日 (木) 11時23分
コメントありがとうございます。君塚さんは、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」に影響を受けられた作家さんなのでしょうか。ニーチェの影響を受けた埴谷雄高、キルケゴールの影響を受けた椎名麒三、カフカの安部公房、カミュの大江健三郎。文学的に体裁を借りて「人生どのようにして、良く生きるか」、つまり生の哲学は、現代文学の根本問題でしょう。これからのご活躍を期待しています。
投稿: ケペル | 2008年1月 3日 (木) 12時05分
はじめまして。検索から来ました。お邪魔いたします。
前のにコメントすみません。(遅レススマソ)
芥川氏の自殺の原因は複合的なものだろうと、思いますが 発狂する前に自分が自分で無くなる前に、自分で自分に決着をつけたかったのでは無いでしょうか?
ご存じだと思いますが、芥川氏はドッペルゲンガーを見ていたのではないかとも、言われています。
生母の事も関係しているかもしれません。
それと、世相を敏感に感じ取っていたでしょうから、この先の世を見たくなかったのかもしれません。
このあたりが、大きい原因なのではないかと私は考えます。
投稿: 検索 | 2008年2月 1日 (金) 04時21分
ちょっとあきれました。
君塚さん、小説家って言えば誰でも小説家なんですか?
芥川氏と、季節性のウツを一緒にするのも随分だと思いましたが
やっぱりって感じです。
名前でぐぐってみればわかると思います。
携帯小説サイトというのか詳しくないのでよくわかりませんが、小説家になろうというサイトにたくさん(30くらい)作品は載せられてますが
小説家ですと、他のたくさんのブログにも宣伝のように書き込みに行っていたり、自己紹介文に自分は小説家なので文章には自信がありますと書かれてたりしますが
どうして、小説家が「小説家になろう」というサイトに投稿するんですか?
普通は小説家を目指してます、または小説家の卵です、というのではありませんか?
投稿: 検索 | 2008年2月 1日 (金) 04時49分
君塚氏が小説を出しているのだけは、本当でした。
その部分は自分の勘違いでした。
すみませんでした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/250-9078535-2373834?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E5%90%9B%E5%A1%9A%20%E6%AD%A3%E5%A4%AA
投稿: 検索 | 2008年2月 1日 (金) 05時57分
何個もすみません。
なぜ、君塚氏が小説を出した事がないと、誤解したかわかりました。
君塚氏について検索する時、氏名だけで検索すれば、Amazonが一番上にきます。
私は、氏名と小説家 を検索語句にしたから、あきれてしまう結果が出たのでした。(あきれるかどうかは、見た人の受け取り方だから、自分はそうだったけどそうではない人もいるかもしれません)
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%90%9B%E5%A1%9A%E6%AD%A3%E5%A4%AA%E3%80%80%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%AE%B6&
しかし、1冊本を出されたからと言って、それだけで小説家を標榜されるのは、やはりちょっと無理があるのではないかと。。。
これから、どんどん出版されるのかもしれませんが、「小説家になろう」のサイトにまだ出版されていない作品が30ほどまだ眠っているわけで・・・
純粋に小説が書きたい、人に伝えたい事がある、とか 自分の内面を探求したいとか その結果として作品ができるとか そういうのではなくて
小説家と言う立場や地位を欲しがってらっしゃるように見えて、何とも言えない気になりました。
それで、余計なお世話だったかもしれませんが、書いてしまいました。
こういう事を書くと、物議を醸すかもしれないし、君塚さんは実名ではないかもしれないけど、個人を特定できる名前なので、ネット上であっても名誉毀損に該当する書き込みをされた場合、訴える事ができます。
ハンドルネームに対する名誉毀損はありません、名誉毀損が成立するかどうかは、実名かどうか個人を特定できる名前かどうかに、よります。
だから、こういう事は書かない方が良かったのかもしれませんが、自分が書いたのは、何の根拠もない誹謗中傷や人格攻撃ではなく、事実に基づく批判的な感想ですので、名誉毀損にはあたらないと思います。
投稿: 検索 | 2008年2月 1日 (金) 17時52分
「小説家って言えば誰でも小説家なんですか?」はいそうです。少なくとも
資格がなければ名乗れないような職業ではないですね。メジャーから出版していなければ小説家とは言えないと思うのはあなたの勝手です。さらには名誉毀損でないなどとグタグタ言い訳、見苦しい。
投稿: | 2008年7月18日 (金) 04時20分
お騒がせしてすみませんでした。ここに書きこんだ当初は自費出版の書籍を1冊出しただけでしたので、小説家とは少々言い過ぎました。現在は2社の出版社と契約を結んでおり、紙の書籍と電子書籍を合わせると合計22作品に為ります。
名誉棄損など書かれている方がいますが、当方はこのようなことでは訴えるつもりも顧問弁護士にも相談する気はありません。しかし、出版社がどのように動くかは判りませんが、このような些末なことで争いを起こしてほしくはありません。ですので、皆様も活発な意見の交流は結構ですが、まだ作家としてほぼ新人の私に対して、批判が行なわれるのは喜ばしいとともにかなり心労にもなりますので御留意下さい。
では末筆ながら失礼します
投稿: 君塚正太 | 2014年2月 9日 (日) 20時55分
ケペル様
コメント失礼いたします。
この記事のなかで、
「しかし、鴎外は直接にマインレンダーの著書を読んだわけでも、詳しいわけでもないのだが、」
という記述がございますが、そのことについて確認するためにはどのような書籍にあたればよいでしょうか?
いま個人的に鴎外やマインレンダーについて調べているところでして、書名等をご教示いただけますと大変助かります。
不躾なお願いで恐縮ですがどうかご容赦いただけますと幸いです。
コウズ
投稿: コウズ | 2018年8月21日 (火) 22時00分