姦通罪で流刑されたユリア
中国には「傾国の美女」という言葉がある。国政の妨げとなる美女のこと。夏の桀王の后、末喜(まっき)。殷の紂王の后、妲己(だっき)。周の褒似(ほうじ)。唐の楊貴妃など。
西洋をみれば、イタリアのルクレチア・ボルジア、フランスのカトリーヌ・ド・メディチ、マリー・アントワネットと有名な美女がいる。しかし注目は古代ローマ帝国であろう。暴君ネロの母親アグリッピナ、妻のポッパエア。アグリッピナはアウグストゥスの曽孫であるが、アウグストゥスの娘ユリアも淫婦である。カエサルの娘の名前もユリアで紛らわしいが、フルネームは、Julia Caesaris Major(紀元前39-紀元14)。ユリアは14歳で従兄弟のマルケッルスと結婚するが2年後に寡婦となる。数年後、アグリッパと結婚し、5人の子供を出産する。ここまでは順調であったが、中年になり他の男と密通を重ねて発覚する。3度目の結婚相手ティベリウスの時も浮気をして、アウグストゥスの怒りをかい、離婚を命ぜられ、島へ追放される。ローマ市民からは同情の声が寄せられ、5年後に、イタリア本土の田舎に移されるが、寂しく没する。初代皇帝の娘という高貴な血統に生まれながら、生来の淫蕩癖のため悲劇的な人生を送った。
« 石狩挽歌、北海道ニシン漁の盛衰 | トップページ | アキンボー »
「世界史」カテゴリの記事
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
- ハーグ密使事件(1907年)(2024.02.10)
コメント