中世都市とゴシック美術
中世初期の間、ローマ帝国時代から続いた都市はほとんど荒廃し、新しくできた都市はまだ小さく、あまり重要なものではなかった。人びとの多くは田園に住み、修道院や貴族に従属して農耕した。しかし、12世紀以来、都市はふたたび栄えはじめる。人びとはだんだんと田園を捨て、自由な自治都市の住民となり、土地所有者である君主にしばられなくなった。このことが中世の生活に大きな変化をもたらした。自由市民は熟練した職人であり、企業力ある商人だったので、都市はやがて、富と芸術と学問の中心地となった。また、都市生活は人びとに独立心と実行力とを与えた。人びとは新しい考えにめざめ、自分たちの周囲の世界により多くの関心を持つようになった。やがて国王がパリに定住するようになると、首都にふさわしい権威を象徴する建築物がつくられていく。この新しい精神から、ゴシックと呼ばれる、新しい芸術様式が生まれた。ゴシックは1150年頃フランスにはじまって、西ヨーロッパ全域に広まった。ゴシック時代、フランス、イギリス、ドイツでは小さな色ガラスがいろいろな形に裁断され、鉛の枠(ジョイナー)で組み合わされ、聖堂建築において不可欠なものとしていちじるしい発展をみた。フランスのシャルトル大聖堂、ル・マン大聖堂、ノートル・ダム大聖堂、イギリスのヨークおよびカンタベリーなどの諸聖堂のものが、12~13世紀の代表的な作例として名高い。教会そのものがまるでガラスの家のように見え、壁として残る部分は、はなはだ少なくなった。ただイタリアだけは例外である。イタリアでは、教会はかたい壁を保存し、壁画は数世紀間主要な芸術であった。イタリア人はいろいろな点で北方の国民とちがっていた。彼らはローマと初期キリスト教の継承者であることを決して忘れなかったし、また、都市生活のこともずっとよく知っていた。イタリアには豊かな、強力な中世都市が他の諸国より、はやくからある。13世紀末から14世紀にかけてチマブーエ、カバリーニ、ジョットその他の画家が活躍した。とくにジョットの描く大胆な人物像は近代的精神が見られる。(参考:H・W・ジャンソン「絵画の歴史」1963)Cathedrale Notro-Dame de Paris、世界史
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