戦後の流行「ルーズソックス」
連続テレビ小説「おひさま」。真知子が父に「東京行きを許してくれなかったら、私、パーマネントします」と。パーマ嫌いの父は仕方なく許す、という設定。昭和14年、街に「パーマネントはやめましょう」の標語も登場し、電髪は華美で戦時下にふさわしくないとみられていた。戦後いっきにみんなパーマをしだした。モンペ姿からショート・スカートへ。髪は笠置シズ子や原節子、戦後の写真はみんなパーマだ。「美しくなりたい」と洋裁学校がはやった。昭和28年にはミス・ユニバースの伊東絹子の出現で「八頭身」という流行語が生まれた。昭和30年には落下傘スタイルのスカートの裾が大きく広がったスタイルが流行する。昭和36年にはシームレス・ストッキングが発売される。「♪ふりむかないで~」とザ・ピーナッツが歌う。そして昭和40年からミニ・スカートが大流行。
時代はとんで平成8年から仙台の女子高生が膝うえ丈のスカートにふくらはぎまでのダブダブにはいた白いルーズソックスを防寒用に考案。数年後、ミニスカの流行とともにコギャルたちの間でルーズソックスが広がっていった。ルーズlooseとは「だぶだぶの」の意味の和製英語で、欧米ではほとんど通用しない。しかし靴下そのもののルーツは1982年にニューヨークのエリック・G・スミスが「ブーツ・ソックス」(E.G.スミス社製)として販売されたもので、彼は、日本の女子高生のためにそんな靴下を作ったわけではなかった。老若男女がリラックスしてるはける靴下として売り出したのだが、1992年、日本市場に進出すると、あっというまに女子高生が殺到し、他の若男や、老男・老女は、はけなくなってしまったのである。とくに長さ60㎝、90㎝のものが人気であった。だが2004年頃になると「ダサい」「古い」「時代遅れ」と、流行は花火のようにアッというまに消えてしまった。
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