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2015年3月14日 (土)

僭主と陶片追放

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  アテネでは、ペイシストラトス家の僭主政治が倒れたのち、平民の指導者クレイステネスは貴族をおさえ、オストラキスモス(陶片追放制度)により、僭主(チュランノス)の再出をもおさえて民主政の基礎を確立した。前510年クレイステネスの創設といわれるが、前487年になって初めて用いられた。

  毎年、春の民会で、この制度を適用するかどうかが決定され、必要となると一定の日にアゴラで投票が行われた。投票には、オストラコン、すなわち陶片が使われた。陶片に追放者の名前を刻んで投票し、一定数に達すると(一説では6000枚)追放された。

    発見された陶片に書かれた名前を見ると、当時のアテネ市民から、僭主の地位をうかがう者として、疑惑の目を向けられていたことがはっきりわかる。ヒッパルコス、アリスティデス、テミストクレス、キモン、カリクセノス、そしてペリクレスの名前もある。もっともペリクレスは追放の憂き目には遭わなかったという。陶片追放は刑罰ではないので、これにあった者は10年間アテネから一定の距離をはなれたところに住み、解除後は市民となって帰国できることになっていた。また財産権など私法上の市民資格を失うことはなかった。アテネは、この制度でデモクラシーを確立したといわれている。(世界史、tyrannos)

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