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2015年3月14日 (土)

美術(明治事物起源)

   明治5年2月に日本政府はウィーン万国博覧会の事務局が東京に設けられたとき、その出品勧誘の官令のなかに「美術」という新熟語があり、その註に「音楽、画学、像を作るの術、詩学等を美術と云」とある。これはドイツ語クンストゲヴェルべ(美術工芸)あるいは英語ファイン・アートという言葉を、官僚の大鳥圭介がほんのまにあわせに思いついての訳語としてだしたものであったが、のち明治10年8月の第一内国勧業博覧会のさいに「美術館」をもうけて美術という言葉が、公に使われるようになった。Kunstgewerbe、fine arts

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明治5年2月18日、この1月6日に黒田清隆の尽力によって特赦により出獄したばかりの大鳥圭介は、大蔵少輔・吉田清成に理事官として随行し、外債発行の交渉と開拓器械等研究のため飛脚船「アメリカ号」で横浜港を出帆した。大鳥は蘭学者でこの時期英語、ドイツ語に通じていたとは思えないしウィーン万国博覧会に関係したとも思えない。
そこで日本国語大辞典の美術の項目を見ると「fine arts の訳語。明治期には詩歌、小説、音楽なども含めて広くいった。
*美妙学説〔1872〕〈西周〉一「西洋にて現今美術の中に数ふるは画学(ペインチング)、彫像術(スカルプチュール)、彫刻術(エングレーヰング)、工匠術(アルキテクト)なれど、猶是に詩歌(ポエト)、散文(プロス)、音楽(ミジウク)、又漢土にては書も此類にて皆美妙学の元理の適当する者とし、猶延いては舞楽、演劇の類にも及ぶべし」
*新聞雑誌‐二八号・明治五年〔1872〕一月「第廿二美術(ビシュツ)〈音楽画学像を作るの術、詩学等を美術と云〉の博覧場を工作の為に用ゆる事」
とあり遅くとも明治5年1月には美術の語は使われたことが分かる。

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