ケン・アンロク
インドネシアは赤道南北の1万3700の島々からなる世界最大の群島国家である。1891年、ジャワ島のトリニール付近で直立猿人(ジャワ原人)が発見され、インドネシアの旧石器時代における人類の活動が認められている。現在のインドネシア人は、紀元前2500年から紀元前1500年ごろにかけて中国西南地方から移住した民族で、水稲耕作を行なった。
670年ごろにシュリーヴィジャヤ王国が、マラッカ海峡を制圧して東南アジアの海上交通を支配し、仏教文化が栄えた。8世紀になると、シュリーヴィジャヤ王国のシャイレンドラ朝がジャワ島北部に進出し、800年ごろにボロブドゥールを建設した。農業の盛んなジャワ島には、8世紀前半にマタラム王国が成立し、ヒンドゥー教の信仰が隆盛を極めた。10世紀前半になるとクディリを都とするクディリ王国が成立し、マラダム王国をしのぐ勢力を誇った。12世紀になるとクディリ王国とシュリーヴィジャヤ王国が栄えて、13世紀になるとジャワ島東部にシンガサリ王国が興った。
シンガサリ王国(1222-1292)の始祖はケン・アンロク(画像)である。彼は農民出身ながら、クディリ朝最後の王クルタジャヤを暗殺して、東ジャワを統一して、新王朝を興し、シンガサリに都した。ケン・アンロクは王号をラージャサ(在位1222-1227)といい、5年の治世ののち、暗殺される。アヌーサパティ、トクジャヤ、ヴィシュヌヴァルダーナと続き、第5代のクルタナガラ王時代に最盛期を迎えたが、元の世祖の怒りを買う。1292年宰相ジャヤカトゥアンにより殺され、王朝は滅亡した。 ken Arok、Singasari、Rajasa
« インドと第一次世界大戦 | トップページ | 八百比丘尼の伝説 »
「世界史」カテゴリの記事
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
- ハーグ密使事件(1907年)(2024.02.10)
コメント