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2015年3月26日 (木)

古代ギリシア陶器の発展

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幾何学様式大アンフォラ(前750年頃) ディピュロン出土 アテネ国立美術館

    古代ギリシア美術の中心は、何といってもその素晴らしい陶器である。ギリシア陶器はそれぞれの時代と装飾様式によって、4つに分類されている。第1期は紀元前11世紀頃の原幾何学様式に続く紀元前9世紀から紀元前8世紀にかけてであり、アテネを中心に著しい発展をみた。アテネのディピュロン門付近から出土するので「ディピュロン様式」と名づけられた墓地装飾用の壺は、その表面を飾る雷文、ジグザグ文、菱形文、波状文、網目文などパターンが、直角や直線から成り立つ構築的な性格を備え、幾何学的な力強さを示している。この時代の美術の特徴を幾何学様式とよんでいる。アンフォラ(amphora)とは、2つの把手がついた壺の総称。通常頸部と腹部を結ぶ垂直の把手を2つもち、頸部と腹部のつなぎ目が鋭角をなすか連続的なカーブを描くかによって頸部アンフォラおよび腹部アンフォラに二大別される。オリーブ油、ぶどう酒、時には穀物の貯蔵、骨壷、棺桶としても用いられた大型の壺がある。また特殊な形としてノラ風アンフォラ(前5世紀に愛用された特に細身の頸部アンフォラ)、パンアテナイア・アンフォラ(パンアテナイア祭の競技の賞品用で、注口と脚が極端に小さい)などがある。Dipylon Anphora

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第2期は紀元前8世紀から紀元前7世紀におけるオリエント様式の時代で、この期は有翼獣や植物をモチーフとしたオリエント陶器の影響を強く受けた。これらの窯業の中心はコリントおよびエーゲ海域で、別名「コリント式陶器」と呼ばれている。

第3期は紀元前6世紀初頭から末に至るアッティカ黒絵式陶器の誕生で、ここに太古の神話伝説をモチーフとした人物が装飾の主役となった。器の表面を褐色地で埋め図象を黒くシルエット風に描き、その細部を鋭い尖筆で形どる黒絵式の技法は、すでにコリント式陶器に見られるが、図象の表現に物語性を導入し、ときには図象の人物の内的感情を表わしている。「ネッソス画家のアンフォラム」(前600ー前590年)はネッソスを殺すヘラクレスの様が描かれている。

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 ネッソス画家のアムフォラム、ネッソスを殺すヘラクレス(アテネ美術館)

第4期は紀元前6世紀末の赤絵式の発明以後で、これはアテネのアンドキデスの画家によって紀元前530年に考案されたとされている。先の黒絵式とは逆に図像を黒い背景から浮かべーび上がらせ、細部を筆により濃淡をもって表わすことにより、人間感情を自由に表現することが可能となり、またその主題も単に神話伝説に限らず、日常生活の一こまなど現実性を加えることによって著しく多様となった。その後エウフロニオスやエウテュミデースらの陶画家が出るに及んで、紀元前5世紀中頃より赤絵式陶器は黄金時代を迎え、これらはイタリア半島や黒海沿岸にまで多量に輸出された。

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