古池や蛙飛びこむ水の音
芭蕉の門人、各務支考の『葛の松原』によると、貞享3年の晩春のころ深川の芭蕉庵に、芭蕉と其角が対座している折から、蛙の水に落ちる音を聞いて、芭蕉が「蛙飛びこむ水の音」という七五だけを得て、上五文字を案じていると、其角が傍から「山吹や」とつけた。しかし芭蕉はそれをしりぞけて、「古池や」と定めたのであるという。一説では「古池や蛙飛ンだる水の音」おそらくは山吹は実景で、古池のあたりに咲いていたのであろう。それに山吹と蛙は、和歌以来の詩的配合であり、かつまた都会人ではなやかなことの好きな其角の趣味にかなったのであろうが、しかしそれでは印象的な山吹の明るさが一句の中心になって、一通りの写生句になってしまうのである。この句の中心は、音でなければならぬ。静寂の領する芭蕉庵の晩春の昼下り、芭蕉と其角の間にかわされた風雅の私語も、その静寂を乱すにいたらない。折から思いがけず、庭前の古池に飛びこんだ蛙の水音が、芭蕉の心に波紋を描いた。静から動へ、動からふたたびまた静へかえるしばしの乱れが、いよいよ幽玄閑寂への思慕をかき立てるのである。
「古池や」の句の季語は「蛙」。かえるの鳴き声が聞こえるのは梅雨時なので「夏」をイメージするが、旧暦なので春となる。
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