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2015年3月26日 (木)

ふるさと福島

Photo_4    蒲生氏郷は1590年、奥州の目付役として会津黒川に移封、92万石を領した。このとき杉目(杉妻)を福島と改めた。1643年、出羽山形より保科正之が入封し、会津23万石の藩祖となった。幕末に会津藩主松平容保は京都守護職に任命されたが、再三固辞したほどで、自身で望んだものではなかった。会津は王政復古により朝敵としてみなされ多くの悲劇が生れた。戊辰戦争後、斗南に移封され、会津人は塗炭の苦しみを味わう。その中からも、教育の近代化に貢献した山川健次郎、浩、捨松の三兄妹がいる。会津藩士の山本覚馬(画像、1828-1892)は京都の近代化に尽くした。覚馬の妹、新島八重子(1845-1932)は新島襄の妻である。社会福祉活動の先駆、瓜生岩(1829-1897)、『小公子』の翻訳者、若松賤子(18864-1896)がいる。キリスト教徒で日露戦争時、徴兵拒否で投獄された矢部喜好(1884-1935)は耶麻郡木幡村(現・喜多方市)の出身。スポーツでは江川卓が福島県いわき市。

 

 

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コメント

名君、保科正之。大河ドラマで取り上げて欲しいですね。

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