高野山略史
高野山は、816年、空海によって開かれた。2世真然の時代に、ようやく諸堂塔が完成した。しかし、916年の無空の三十帖冊子事件、正暦の大火(994年)により諸堂塔が燃え、衰退期を迎える。11世紀に入ってから、祈親上人定誉の努力によって復興する。1023年、藤原道長が参詣し、高野詣がふえる。鎌倉時代には、天皇・貴族から武士が高野詣の中心となっていく。1581年、織田信長が大軍で高野山を攻めるも、本能寺の変により、高野山は難を逃れた。江戸時代以降の高野山は徳川幕府の援助をうけると共に、諸大名の菩提所として繁栄した。明治になり、神仏分離令、女人禁制解除と高野山にも近代化の波がやってきた。近年、世界遺産登録などにより、海外からの外国人観光客が急増している。
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