琴似の屯田兵

現在、札幌市の琴似(ことに)はオフィスビルが立ち並ぶ商業地区であるが、明治初期は最初に開拓されたところである。屯田兵が入植する明治8年以前にも、すでにこの地方には移住者がいたが少数である。明治6年、琴似村が誕生したときは、戸数58戸、人口228名であった。明治7年に「屯田兵例規」が制定され、翌年から入植すると、戸数198戸、人口965名に急増した。その多くは旧会津藩士はじめ奥羽諸藩の下級士族からなり、彼らは六畳、四畳半、流し台のある板の間、12畳大の土間のついた一戸建ての兵屋をあたえられ、糧秣を保障されて、軍隊式の生活をしながら荒野の開拓に挑んでいった。つづいて発寒、藻岩にも屯田兵の兵村がひらかれ、札幌を中心にその数が増えていった。
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