琴似の屯田兵
現在、札幌市の琴似(ことに)はオフィスビルが立ち並ぶ商業地区であるが、明治初期は最初に開拓されたところである。屯田兵が入植する明治8年以前にも、すでにこの地方には移住者がいたが少数である。明治6年、琴似村が誕生したときは、戸数58戸、人口228名であった。明治7年に「屯田兵例規」が制定され、翌年から入植すると、戸数198戸、人口965名に急増した。その多くは旧会津藩士はじめ奥羽諸藩の下級士族からなり、彼らは六畳、四畳半、流し台のある板の間、12畳大の土間のついた一戸建ての兵屋をあたえられ、糧秣を保障されて、軍隊式の生活をしながら荒野の開拓に挑んでいった。つづいて発寒、藻岩にも屯田兵の兵村がひらかれ、札幌を中心にその数が増えていった。
「日本史」カテゴリの記事
- 河越城の戦い(1546年)(2024.04.20)
- かえり船(2024.03.23)
- 鍋島騒動(2024.03.20)
- 勘解由使(2024.01.14)
- 藤原兼家(2024.01.12)
コメント