無料ブログはココログ

« アルルのはね橋 | トップページ | 岡本の手紙 »

2015年3月25日 (水)

琴似の屯田兵

Kotoni9

    現在、札幌市の琴似(ことに)はオフィスビルが立ち並ぶ商業地区であるが、明治初期は最初に開拓されたところである。屯田兵が入植する明治8年以前にも、すでにこの地方には移住者がいたが少数である。明治6年、琴似村が誕生したときは、戸数58戸、人口228名であった。明治7年に「屯田兵例規」が制定され、翌年から入植すると、戸数198戸、人口965名に急増した。その多くは旧会津藩士はじめ奥羽諸藩の下級士族からなり、彼らは六畳、四畳半、流し台のある板の間、12畳大の土間のついた一戸建ての兵屋をあたえられ、糧秣を保障されて、軍隊式の生活をしながら荒野の開拓に挑んでいった。つづいて発寒、藻岩にも屯田兵の兵村がひらかれ、札幌を中心にその数が増えていった。

« アルルのはね橋 | トップページ | 岡本の手紙 »

日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« アルルのはね橋 | トップページ | 岡本の手紙 »

最近のトラックバック

2024年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31