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2015年3月31日 (火)

ラファエル前派の女性美

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         「燃え立つ6月」 1895年

    フレデリック・レイトン(1830-1896)はイギリス・ヨークシャーのスカーボローの生まれ。幼少時より家族でヨーロッパ旅行をしていたので、数ヶ国語を話し、美術に関する知識も自然と身についていた。さらにフィレンツェ、フランクフルト、パリ、ブリュッセルなどで本格的な美術を学び、ロンドンに戻ってからはラファエル前派とも親交を深める。1868年ロイヤル・アカデミー会員、1878年同会長となりナイト爵を授与され、1886年準男爵、1896年の死の前日にはイギリス画家として初めて男爵の称号を得た。彼の作品は歴史、聖書、古典的な題材がほとんでビクトリア朝時代の画風であるが、近年、再評価がなされている。主作品には「プシケの入浴」(1890)「燃え立つ6月」(1895)など。

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      「果物かごを持つ娘」

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        「無言歌」 1860年

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         「ローマの農家の娘」 

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     「書見台に向かって」 1877年

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          「ソリテュード」

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      「ヘスペリデスの園」 1892年

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        「ヘロの最後の眺め」

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 「プシュケの水浴」 1889-1890年頃

   ここでの水浴するプシュケは、単なるギリシャ趣味の口実でしかない。題材は19世紀以来、さまざまな口実のもとに展開されてきたヌードである。近年、世界的規模の「ビクトリアン・ヌード」展があり、レイトンという画家が注目をされるようになっている。その在世時、少なくともイギリスでは極めて高い名声を得た画家ではあった。レイトンの作品はイギリスに欠如していたある種の高踏性と洗練があり、それがヴィクトリア王朝趣味に適合したのであろう。レイトンはラファエル前派に深い共感を持っていたようであるが、画風はよりアカデミックであり、古典主義的であった。

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