札幌時計台
明治11年に建てられたこの時計台は、正式名称「旧札幌農学校演武場」。当時は、現在のような時計塔ではなく小さな鐘楼が設置されていたが、黒田清隆開拓長官が塔時計の設置を発案したのを受け、ウィリアム・ホイラー教頭が塔時計をアメリカに発注した。この塔時計は思いのほか大がかりで、かなりの大改修を余儀なくされた。時計の設置工事は明治14年の5月頃に着手され、同年6、7月頃に完成した。明治34年、札幌農学校は現在の北海道大学の位置へ移転されることになったが、演武場はその場に残ることになった。
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