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2015年3月 4日 (水)

南方熊楠の納税意識

Photo_4   南方熊楠は14年間も海外を放浪し、16ヵ国語と博覧強記の学者となり、帰国したのち博物学や民俗学の先駆者となった。しかし生涯定職に就かなかったため安定した収入がなく、官学を軽蔑し、そこから距離を置いて研究したため、経済的には常に困窮していた。3歳下の弟、常楠(1870-1954)は酒造業に成功し、兄の代わりに本家の基盤を作った。熊楠の手紙には「この常楠というものは、幼時は同父同母の兄弟としていたって温厚篤実の者であったが、その妻が非常に気性の強い女で」「接弟の妻は拙弟方にかじりついて、この家で討死と覚悟を決めているから勢いが凄まじく、拙弟が頭が上がらない」、常楠が兄のために尽力した南方植物研究所についても「舎弟が我欲の強い吝嗇漢で、小生の名前で金を募り集め、それを自分方に預かって利にまわそうとして」とある。あるとき熊楠が税務署から所得税の徴収をされたとき、自分は金銭のことに疎いので知らないと言い、舎弟に納税してほしいと依頼したものの、断られ、「小生のように金銭にかけては小児同様のものをこのようになすとは、骨肉しかも同父母の弟としては非人道の至りである」と手紙に書いている。弟からみれば熊楠は、ちょっと困った兄貴であったといえる。世界を駆け巡り、国際感覚を身につけ、自然保護、人権問題などで現在ヒーローのように高く評価されている反面、実生活者としてみれば利己的であり、アンバランスな側面がみられる。

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 左から南方常楠、熊楠、孫文

 

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