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天秀尼(1609-1645)。豊臣秀頼の娘で、千姫の養女。東慶寺の20世住持。秀頼は16歳の時、1608年側室の成田吾兵衛助直の娘お石に国松を産ませ、1609年に女子を産ませている。大坂落城の1615年、国松と妹は脱出したが、兄国松は捕えられ、六条河原で殺害された。しかし妹は千姫の養女として東慶寺に入れられることを条件に助命された。東慶寺は縁切り寺(駆け込み寺)として有名であるが、実際にその力を発揮しはどめたのは、天秀尼が住持になってからのことという。
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