和泉式部
あらざらむ この世のほかの思ひでに 今ひとたびの逢ふこともがな
百人一首、和泉式部のこの歌は敦道親王との恋を詠んだものとして知られている。和泉式部は「恋多き女」の代名詞として、紫式部も「和泉はけしからぬかたこそあれ」と非難している。
和泉式部は978年、大江雅到(まさむね)の娘として生れた。橘道貞と結婚し、夫に従って和泉に下り小式部内侍を生んだが、平凡な地方官の妻としてはあきたらなく冷泉天皇の皇子為尊親王と恋におち道貞と別れた。やがて親王が薨去したので長保5年親王の4歳下の弟、敦道親王と情を通わすに至り、師宮に迎え入れられた。師宮家における彼女の華やかな生活もわずか4年、宮の死によってまた幕を閉じた。寛弘6年、中宮彰子に仕え、翌7年藤原保昌と結婚した。保昌の任国丹後に下ってから万寿4年ごろまでは生存していたと思われるが、それ以後はどうなったのかわからない。
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