無料ブログはココログ

« 永遠の「四月の雪」 | トップページ | 冒険家セオドア・ルーズヴェルト »

2015年2月27日 (金)

琉球か?沖縄か?

Aensei

    大江健三郎の著書「沖縄ノート」に、あるアメリカ政府高官に日本地図を書かせたら、四国や九州や北海道、そして本州よりも大きく沖縄を描いた、というエピソードがある。米軍基地はいまだ圧倒的な存在感でそこにある。そして多くの矛盾を抱える沖縄。琉球新報・沖縄タイムス、琉球銀行・沖縄銀行、そして琉球大学・沖縄大学。

    琉球・沖縄に関係する文献を一瞥すると、書名に「沖縄」とある場合と、「琉球」とある場合がみられる。

アサヒ写真ブック『琉球その後』 1955

沖縄の歴史研究会編『沖縄の歴史』 1984

高良倉吉・田名真之編『図説琉球王国』 1993

新城俊昭『高等学校 琉球・沖縄史』 1994

中山盛茂編『琉球史事典』 1969

    このように名称一つ比べても沖縄問題は歴史的、文化的に複雑である。沖縄には沖縄の顔と琉球の顔があるといわれる。沖縄の文献上の初見は、8世紀に書かれた鑑真の伝記『唐大和上東征伝』である。ここでは「阿児奈波島」と書かれている。753年11月21日に沖縄に上陸している。そして12月20日、薩摩坊津(南さつま市)に到着した。「平家物語」(長門本)には「おきなは」という呼称が初めて見える。ただし、古代の東アジア世界では、一般的に用いられた名称は「琉球」であった。隋の煬帝が607年に朱寛を琉求に遠征させたとある。(「隋書東夷伝」)『隋書』の「琉求」の所在については、新井白石が琉求=沖縄説を唱え、フランスの学者が琉求=台湾説を唱えて、明治30年代から昭和30年代にかけて国際的な論争となったが、有力な学説はでなかった。明末のマテオ・リッチの「坤與万国全図」(1584年)には、大琉球と小琉球が描かれ、大が沖縄、小が台湾をさす。明代を通じて、「琉球」の呼称は東アジアに定着し、江戸幕府も琉球と呼んでいた。ところが明治日本は1872年、琉球王国を廃して琉球藩を設置し、国王尚泰を藩主とした、さらに、1879年に琉球処分により沖縄県とした。つまり琉球と呼ぶと古代からの独自の文化概念をも包括することとなるが、沖縄とすれば明治以降の日本の一つの県としての色彩が鮮明に出てくるのである。

« 永遠の「四月の雪」 | トップページ | 冒険家セオドア・ルーズヴェルト »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 永遠の「四月の雪」 | トップページ | 冒険家セオドア・ルーズヴェルト »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31