常陸山から大鵬まで
夏目漱石の講演記録にこんな話が記されている。「お伽噺や歴史の本などを見て、昔の英雄などについて(子供から)やはり同様な質問をかけられる事がある。太閤様と正成とどつちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどつちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどつちが勝つとか。中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。」
漱石の晩年、明治末期から大正にかけては、相撲人気が復活してきたころらしい。漱石は相撲見物によく出かけた。第19代横綱、常陸山谷左エ門(1874-1922)は「相撲中興の祖」といわれ大正3年に引退した。漱石は豪快な突っ張りを得意とした太刀山(画像)が贔屓だった。そのころの優勝力士を一覧すると、明治42年夏・高見山、明治43年春・常陸山、明治43年夏・太刀山、明治44年春・太刀山、明治44年夏・太刀山、明治45年春・太刀山、明治45年夏・太刀山、大正2年春・鳳、大正2年夏・太刀山、大正3年春・太刀山、大正3年夏・両国、大正4年春・鳳、大正4年夏・太刀山、大正5年春西ノ海、大正5年夏・太刀山。漱石はこの年12月に死亡している。つまり晩年の漱石の時代は太刀山の全盛期と重なる。
相撲の強者は以降、栃木山、常ノ花、玉錦、双葉山、羽黒山、千代の山、照国、栃錦、若乃花、朝潮、大鵬と続く。
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