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2015年2月 8日 (日)

日露戦争と号外

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   2月8日、旅順港のロシア艦隊を日本軍が攻撃した。10日に日本がロシアに対して宣戦布告し、日露戦争は開戦した。国木田独歩の小説「号外」のなかで読者は「何度読んでも涙がこぼれる」と言っている。新聞は今とは違って美文調である。鈴を鳴らして「号外、号外」と大声で叫んで配っていた。赤刷りだった。明治37年3月27日の第2回旅順閉塞作戦は次のような感じである。

    「戦死者中福井丸の広瀬中佐および杉野兵曹長の最後はすこぶる壮烈にして、同船の投錨せんとするや、杉野兵曹長は爆発薬を点火するため船艙におりし時、敵の魚形水雷命中したるをもって、ついに戦死せるもののごとく、広瀬中佐は乗員をボートに乗り移らしめ、杉野兵曹長の見当たらざるため自ら三たび船内を捜索したるも、船体漸次に沈没、海水甲板に達するをもって、やむを得ず、ボートにおり、本船を離れ敵弾の下を退却せる際、一巨弾中佐の頭部をうち、中佐の体は一片の肉塊を艇内に残して海中に墜落したるものなり」

    明治38年5月27日早朝の日本海海戦は次のとおり。「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんとす、本日天侯晴朗なれども波高し」旅順の陸戦の模様については、「死屍は累々として相重なり、肉片は地上に飛散し、鮮血は淋漓として萌え出る若草を染む」とある。

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コメント

国を上げての戦争となれば、挙国一致という美名のもとに、言論統制がまかり通ることになる。

この時代風潮に言論マスコミ関係者はどこまで守り通せるか・・。

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