剣術の祖・愛洲移香斎
室町時代の剣術家、愛洲移香斎(1452-1538)の名前はあまり知られていない。もし日本の歴史人物名を五十音順に排列すると、かなり始めのほうに掲げられる名前である。「あいすいこうさい」本名は愛洲太郎久忠、または左衛門尉や日向守と称した。移香斎は法名である。幼少より剣術の才能があったため、武者修行をもって生業とし、諸国を巡ったり、上洛した。36歳ののとき日向国鵜戸の岩屋に参籠して、蜘蛛の動きから極意を得て「陰流」を開いたといわれる。時代劇などでよく聞く、「柳生新陰流」も、愛洲陰流がもとになっている。つまり剣術が最も盛んだった江戸時代には、600もの流派があったが、元祖はすべて愛洲移香斎が起こした陰流で、あらゆる剣法の祖である。
青柳武明「日本剣法の古流陰流と愛洲移香」 歴史公論1933年10月号、「増補、愛洲移香斎久忠傳考」南伊勢町教育委員会 1999年
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コメント
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時代劇の小説書いてますので、
このような資料は詳しく知りたいところです。
今後ともよろしく勉強させてください。
投稿: 根保孝栄・石塚邦男 | 2015年2月 9日 (月) 03時49分