新京ペスト流行と731部隊
昭和15年9月29日、人口50万を誇る満州国の首都・新京(現在の長春市)で一人のペスト患者が死亡した。関東軍防疫給水部の石井四郎軍医中佐(画像、1892-1959)は直ちに発生地区の「三不管」の家屋を焼却し、ペスト騒動は1ヵ月半で終息した。石井部隊の実に迅速なる防疫活動であった。一説では感染者は57人で26人の死者であったという。
この新京ペスト騒動は、あまり日本では知られることはなかったが、中国では有名な作家・古丁(1914-1964)が昭和20年に「新生」(芸文書房)で取り上げ、日本でも戦後、左翼作家・山田清三郎(1896-1987)の「明けない夜はない、東方の虹第一部」(理論社、昭和30年)で描かれていた。そのころすでに噂で新京ペストが自然発生的なものではなく、第七三一部隊によるものであるということは知られており、山田清三郎の小説の「あとがき」にもふれられている。
しかし近年、常石敬一の「戦場の疫学」(海鳴社)によると、731部隊がノミを使用してペスト菌などの細菌兵器を開発していたとしている。英文の報告書「人体解剖記録報告」の「Q報告」には、昭和15年6月から秋にかけて中国東北地区の農安と新京で行なったペスト菌による細菌戦研究の状況が記録されている。
関東軍の石井部隊は昭和11年に創設され、ノモンハン事件(昭和14年)にさいして、ハルハ河をコレラ菌で汚染したり(石井部隊は防疫活動をしたとする説もある)、細菌兵器の開発のために人間をモルモットとして病理解剖していたことは、森村誠一「悪魔の飽食」以来大きな話題になったが、その真偽のほどはおいておくとして、新京ペスト流行においては、関東軍石井部隊が大きく関与しているとみなして間違いないであろう。731部隊に関与した医師たち。石川太刀雄丸(1908-1973)、岡本耕造(1908-1993)、笠原四郎ほか。
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