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2015年1月12日 (月)

ふるさと北海道

Photo   北海道にゆかりのある近代以降の著名人たち。幕末の蝦夷探検家・松浦武四郎(1818-1888)は伊勢国の生まれであるが、北海道とは所縁が深い。明治政府に蝦夷地開拓御用掛を命ぜられ、長年の知識に基づき道名・国名・郡名を選定した。北海道の地名は、アイヌ語を指す言葉「カイ」を含む「北加伊道(ほくかいどう)」を考案。いつしか松浦は「北海道の名づけ親」と呼ばれるようになった。

    坂本龍馬の甥の坂本直寛(1853-1911)はキリスト教徒として北海道開拓移民の指導にあたった。北海道開拓使の初代判官の島義勇(1822-1874)は札幌を碁盤目状の都市にしようと計画。その志は2代開拓使判官の岩村通俊(1840-1915)に継がれた。「屯田兵の父」と呼ばれた永山武四郎(1837-1904)はロシアから守るため北海道開拓のため生涯を捧げたる晩成社を設立した依田勉三(1853-1925)は十勝帯広地方の開拓につとめた。夏はラベンダー、冬はスキーと年中観光客が訪れる富良野の発展の礎を築いたのが中村千幹(1866-1916)である。広井勇(1862-1928)は小樽港の開発に尽くした。マルハニチログループの創業者の堤清六(1880-1931)と平塚栄次郎(1881-1974)。空知集治監の教誨師を務めた牧師の留岡幸助(1864-1934)は、1914年に遠軽に北海道家庭学校を開設した。今井藤七(1849-1925)は小間物の屋台店から出発して、今井百貨店を創業。フルヤミルクキャラメルの古谷辰四郎(1868-1930)は苦労ののち古谷製菓を創業。川田龍吉(1856-1951)はジャガイモの栽培に成功、今に伝わる「男爵イモ」である。木下虎一郎(1903-1966)はサロマ湖でホタテの人工養殖に成功した。斜里町長の藤谷豊(1913-1994)は自然破壊に抗して、1977年に知床百平方メートル運動を始めた。知里真木保(1909-1961)は叙事詩ユーカラの研究をした。萱野茂(1926-2006)はアイヌ文化資料館を設立した。遠藤吉三郎(1873-1921)はスキージャンプを日本に普及した。札幌ラーメンの大宮守人は「味の三平」を創業。

    文学者では伊藤整(小樽)、井上靖(旭川)、下母沢寛(石狩郡)、島木健作(札幌)、長谷川四郎(函館)、三浦綾子(旭川)、渡辺淳一(札幌)。岡本太郎の父、岡本一平(1888-1948)は漫画家の始祖といえる。女優の高峰秀子は大正13年の函館生まれ。ノーベル化学賞の鈴木章(むかわ町、1930年生まれ)。大鵬幸喜は1940年、上川郡弟子屈町出身。優勝32回、6連覇2度、全勝優勝8回など、双葉山と並ぶ昭和の大横綱。「♪果てしない大空と広い大地のその中で いつの日か幸せを自分の腕でつかむよう」と松山千春(1955生)は足寄にこだわる。演歌界の大御所・北島三郎(1936生)は知内町、細川たかし(1950生)は虻田郡真狩村、玉置浩二(1958)とは旭川市。アイドルではザ・リリーズ(夕張)、モーニング娘の安倍なつみ(室蘭)、飯田圭織(札幌)。1981年、室蘭の生まれ。宇宙飛行士の毛利衛は余市町。

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コメント

ずいぶん前ですが、船山馨の「石狩平野」という小説を読み、感動しました。作品も題名の通り北海道が舞台でしたが、作者も北海道出身だったと思います。

いつも見てくださりありがとうございます。船山馨、八木義徳、佐藤泰志、加藤多一、更科源蔵などぬけているのでいつか追加・修正したいと思います。

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