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2015年1月 2日 (金)

三四郎とストレイシープ

Photo_2    「ストレイシープ(迷える羊)」という言葉は、聖書に由来し、漱石の小説「三四郎」でも里見美禰子という女性の謎めいた言葉として印象的に使われている。一般にこの言葉は聖書の中では「罪人」という意味で使われている。漱石「三四郎」においてどのような意味で使ったのか解釈をめぐってはさまざまな意見がある。漱石も読者がいろいろな受け止めができることを意図したものであろう。

    小説の終わりで、美禰子がかすかな声でいう。「われは我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり」美禰子はストレイシープが自分のことであり、三四郎を好きであることを告白している。これに対して三四郎は「ただ口の内でストレイシープ、ストレイシープと繰り返した」で小説は終わる。

    ところが英語の聖書には「ストレイシープ」という語は見られない。漱石が英国留学時代に研究したヘンリー・フィールディング(1707-1754)の「トム・ジョーンズ」(1749年)には「ストレイシープ」がでてくる。三四郎の友人の佐々木与次郎が「ダーター・ファブラ」(他人事ではないの意)という言葉をよく意味を知らずに使っている。岩波文庫の注では「デ・デ・ファブラ」はホラチウス「風刺詩」の言葉とあるが、それは初出であって、おそらく漱石はロバート・ブラウニングの詩集「男と女」を読んで「ストレイシープ」「デ・デ・ファブラ」という語から小説のインスピレーションを受けたものであろう。

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