黒田官兵衛の家紋
大河ドラマ「軍師官兵衛」の一場面に黒田官兵衛が家紋を「藤巴」にしたのは、有岡城に幽閉されている時に、獄の外から伸びて花を咲かせた藤の花を見て生命力を感じたからという逸話がでてくる。しかし、小寺家の家紋が「橘藤紋」であり、藤の意匠は小寺家から下賜されたもので、官兵衛が小寺姓を名乗っていた時代から使っていたと思われる。
これとは別に黒田官兵衛は、竹中半兵衛からもらった「白餅紋」がある。城持ちとかけたものである。藤の紋は小寺氏の裏切りから、縁が切れて、一時期使えなくなっていたので官兵衛といえば「白餅紋」のほうが知られている。とはいっても律儀な官兵衛は「藤巴紋」と「白餅紋」の2つの紋を併用していたらしい。明治になって侯爵となった黒田家は、「白餅紋」は国旗と意匠が相似することから使用しなくなり、「藤巴紋」を使うようになった。
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