けん玉の歴史
けん玉は世界各地にあり、英語でカップ・アンド・ボール(Cup and Ball)、フランス語でビル・ボケ(Billeboquet)、ドイツ語でクーゲル・ファンク(Kugelfang)という。起源については諸説あるが、16世紀フランスのアンリ3世の頃の銅版画が最も古い資料である。(下の画像)
ピエール・ド・エストワールが「1585年の夏、街角で子どもたちがよく遊んでいるビル・ボケを、王様たちも遊ぶようになった」と記している。日本の資料でけん玉が登場するのは「拳会角力図会・下」(1809年)である。「嬉遊笑覧」(1830年)には拳玉が1777年ころ長崎から広まったとある。つまりけん玉は江戸時代中期に中国から伝わったと考えられる。
今日わたしたちが見慣れているけん玉は、大正時代に日本で生れたもので、当時は「日月ボール」と呼ばれていた。1918年、広島県呉市の江草濱次が「日月ボール」を考案した。棒の先端3分の1のところに鼓形の木をはめこみ、大小3つの受け皿を作った。1927年ころ全国に広まり大流行した。
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