佐藤継信の最期
1180年、奥州にいた源義経は弁慶、佐藤継信、忠信らを率いて平家を討つため屋島に向かった。この地で敗北した平家は壇ノ浦へと落ち延びる。この屋島に檀の浦という地名がある。檀の浦は入り江に望み後ろは険しい屋島の峰。戦には地の利を得た場所であった。継幸は平教経が義経を狙って放った矢を身代りとなって戦死した。この美談を基にのち謡曲「屋島」が生まれる。西国行脚中の都の僧が、屋島で、ある塩屋に一夜の宿を求めると、漁翁は、旅僧に話を聞かせる。義経の大将ぶり、悪七兵衛景清と仁保谷四郎との綱引き、佐藤継信の最期など。あまりに詳しい物語に僧が不審をなして、漁翁の名を聞くと、なんと、義経の霊であった。
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