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2014年12月 9日 (火)

西洋手品の誕生

Ms201106287_2   明治の奇術師といえば帰天斎正一(1843-没年不詳)、柳川一蝶斎(1847-1909)、松旭斎天一(1853-1912)らが知られる。帰天斎は初め落語家であったが、渡欧して1874年に帰国し、西洋手品を日本に紹介した。1887年ころから寄席へ出、「洋術首切」などをはじめ、火中に投じたハンケチから万国旗を出してみたり、こわした時計をなおしたりする新基軸の手品をみせた。晩年は大阪の2代目に名前を譲って引退したと思われ、1917、18年ごろは長野善光寺のほとりで易占いをしていたともいう。3代目柳川一蝶斎はパリ万博出演のため、渡欧し、各国巡業で評判となる。1869年帰国し、蝶柳斎と改名。1896年に3代一蝶斎をつぐ。初代からの「うかれ蝶の旭」を得意とした。松旭斎天一は1889年明治天皇御前公園で政財界の知遇を得、奇術界の権威者となる。のちに「魔術の女王」といわれた松旭斎天勝は弟子であり、愛人でもあった。

参考文献;山本慶一「西洋手品の開祖・帰天斎正一」 奇術研究51、宮岡謙二「異国遍路 旅芸人始末書」 1959

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