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ここ数年「男たちの大和」や「永遠の0」のような愛国主義的戦争映画が人気をよんだ。キーワードは新時代をきりひらくためには死をおそれない、といったところだろうか。愛国主義的日本主義のご本尊様といえば吉田松陰である。松陰神社まである。
かくすれば かくなるものと 知りながら
やむにやまれぬ 大和魂 松陰
吉田松陰といえばその無私な純粋性ゆえ、左右を問わず国民に人気がある。徳富蘇峰の「吉田松陰」が世に出たのは明治26年。自由民権運動の影響をうけ、平民主義の立場から松陰を描いた本書は、松陰論の中でも屈指の名著として知られる。日清戦争の前年のことだ。戦後は奈良本達也や河上徹太郎の松陰論がある。だが何故いま松陰なのか?10年ほど前に刊行された「月刊松下村塾 全12冊」の巻末には安倍晋三の応援メッセージが掲載されている。「花燃ゆ」の影には安倍からの強いプッシュがあったのではないだろうか。
2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」は吉田松陰の妹・文の生涯を描く。明治になっての名前は楫取美和子(1843-1921)。1857年、久坂玄瑞に嫁ぐが、未亡人となる。1883年、姉の元夫・小田村伊助(楫取素助)と再婚する。1896年、その一子、粂次郎(姉の寿と小田村の子)が台湾で死亡。ドラマはヒロインの生涯よりも吉田松陰やそのもとに学ぶ塾生たちにもスポットがあるものと推測する。塾での松陰の教育内容は地理、算術、歴史の三科目であった。とくに松陰はことあるごとに「算数、経済」を口にし、塾生たちを叱咤激励していたという。
吉田松陰肖像画で有名なものは松陰神社所蔵の「絹本着色・吉田松陰像」である。しかし私が気になるのは、国立国会図書館HP「近代日本人の肖像」の画像である。
出典は「近世名士写真」(昭和9年)であるが、どの程度本人の風貌が伝えているのはわからない。山口博物館所蔵の鉢巻姿の久坂玄瑞は愛妾・井筒タツの子、久坂秀次郎(1864-1932)がモデルとなって描かれたといわれる。品川弥二郎は「秀次郎は久坂玄瑞とそっくりだ」と述べているからこの肖像画はその風貌を伝えているとみてよい。
スポーツ界では、錦織圭(テニス)、大久保嘉人、本田圭祐(サッカー)、大谷翔平、金子千尋(野球)、神本雄也(体操)、萩野公介(水泳)、登坂絵莉(レスリング)、阿部一二三(柔道)、逸ノ城(大相撲)、羽生結弦(フィギイア)、吉田沙保里(レスリング)、成田美寿々・勝みなみ(ゴルフ)、葛西紀明(スキージャンプ)。
芸能人では、日本エレキテル連合、坂上忍、May J、林修、斉藤工、東出昌大、福士蒼汰、池松壮亮、窪田正孝、染谷将太、菅田将暉、ざわちん、神田沙也加、すみれ、二階堂ふみ、橋本環奈、小島瑠璃子。妖怪体操の振付師ラッキィ池田は今年再ブレイク。
わが国では、茶碗、箸、湯のみなど個人専用のものとみなす傾向がつよい。これらの食器は、持主の実存の象徴として扱われ、いまでも葬式のときに、出棺にあたって門口で個人の使っていた茶碗を割る風習は残っている。食事の配膳法は、世界的にみて、2つのタイプがある。一つは、料理を個人別の食器に分配してしまう「個別型」である。もう一つは、共用の食器に盛った料理をかこんで、ひとつの器に手をのばして食べる「共通型」である。時代劇をみれば明らかなように、わが国の伝統スタイルは個別型である。最近は、欧風スタイルをまねて、大きな皿にもって、みんなで必要な分だけをとる家庭もふえているようであるが、まだまだ学校給食、社員食堂、大宴会などみても、多くの場面で個別型が多くみられる。農村社会、近代的な自我は未成熟であったが、自分のものは自分で守るという、「一寸の虫にも五分の魂」という思考は根づいていたようである。
世の中、意味不明のタイトルの本やドラマは多い。とくに推理小説やサスペンスは中身がわからないほうが興味がそそられるからであろう。松本清張の「霧の旗」。兄の弁護を断わった弁護士に対する女性の復讐を描く。弁護士大塚が愛人と箱根へ密会の旅へ行く。宿で「霧は音をたてて流れるというね」という大塚の台詞があるが、「霧の旗」が何のことかよくわからない。有名な志賀直哉の「暗夜行路」という小説。祖父と母との間に生まれた不義の子時任謙作が、子の死と妻の不義にうちのめされ、伯耆の大山の自然のなかで自己回復をはかる。タイトルは暗夜はいつまでも暗夜ではなく必ず朝を迎えるというテーマで、大山の夜明けの場面が象徴している。ライジングサン。
嵐の二宮和也が山田洋次監督の最新作「母と暮らせば」で吉永小百合と親子役で初共演する。どの俳優にしても吉永小百合との共演というとえらく緊張するらしい。「朝を呼ぶ口笛」(1957年)で映画デビューした清純派の青春スターだった小百合ちゃんも今やカリスマ女優として崇められベテランから若手まで共演するとプレッシャーを感じるらしい。かつては共演者は浜田光夫や高橋英樹、渡哲也といった同世代の青春スターだったが、1975年以降、吉永より年下俳優が相手役というケースもよくある。草刈正雄(白い闇)、浅野忠信(母べえ)、仲村トオル(北のカナリア)。吉永より20歳上の俳優・佐野浅夫(三代目水戸黄門)はドラマ「張り込み」(1978)で吉永の亭主を演じている。ベテラン俳優大和田信也がある番組で語っていた。「わたしはこれまで吉永小百合さんと共演はおろか、面会したことも一度もない。今年はじめてあこがれの吉永さんにお会いできた」と。「ふしぎな岬の物語」で吉永に思いを寄せる役だった鶴瓶も結局プロポーズできずに終わった。
「中東」という地域の名称。なぜ「中東」と呼ぶのだろうか?それは植民地支配をしていたイギリスやフランスから見て中の東に位置している地域であるから。20世紀はじめ、イギリスはイランの王朝から同国内の石油の採掘権を獲得し、1908年よりイラン南西部で採掘を開始した。第一次大戦後には、イラクでイギリスとフランス・アメリカの石油会社が石油採掘の利権を獲得した。その後、アメリカの石油会社は他の湾岸諸国でも石油採掘の利権を獲得し、イギリスの会社とともに油田の発見につとめた。第二次大戦後、1970年代になるとイラクが外国資本の石油施設を国有化したのをかわきりに各国で国有化の動きが相次いだ。1979年にイラン革命が起こり中東に反米の気運が高まる。その後も中東地域には湾岸戦争、シリア問題、パレスティナ問題と紛争はたえない。
けん玉は世界各地にあり、英語でカップ・アンド・ボール(Cup and Ball)、フランス語でビル・ボケ(Billeboquet)、ドイツ語でクーゲル・ファンク(Kugelfang)という。起源については諸説あるが、16世紀フランスのアンリ3世の頃の銅版画が最も古い資料である。(下の画像)
ピエール・ド・エストワールが「1585年の夏、街角で子どもたちがよく遊んでいるビル・ボケを、王様たちも遊ぶようになった」と記している。日本の資料でけん玉が登場するのは「拳会角力図会・下」(1809年)である。「嬉遊笑覧」(1830年)には拳玉が1777年ころ長崎から広まったとある。つまりけん玉は江戸時代中期に中国から伝わったと考えられる。
今日わたしたちが見慣れているけん玉は、大正時代に日本で生れたもので、当時は「日月ボール」と呼ばれていた。1918年、広島県呉市の江草濱次が「日月ボール」を考案した。棒の先端3分の1のところに鼓形の木をはめこみ、大小3つの受け皿を作った。1927年ころ全国に広まり大流行した。
ビルマ戦線で命を助け合った3人の戦友が5年後の再会を約束して品川駅で別れる。そして5年の歳月が流れた。伊藤雄之助は貧しいながらも労働者として僅かの金を貯えた。水島道太郎は病弱の妻を労わりながらボクサーに命を賭けた。そして三国連太郎はギャングの仲間に誘われ警察に追われるはめになる。初期の日活作品「三つの顔」(1955)は映画史に残る作品ではないかもしれないが日活にとってアクション路線への契機となった作品である。水島に八百長を誘う萩山組社長に安部徹が扮しているが悪役の存在感は日活アクション映画に欠かせない。ボクシング映画は石原裕次郎「勝利者」(1957)へと続く。水島が腕を折られそうになるシーンなど「嵐を呼ぶ男」(1957)のドラマーが傷められるシーンへと続く。井上の活劇的手法は大衆にわかりやすく娯楽映画の醍醐味といえる。
世に孔門十哲とか蕉門十哲とかいわれるが、高弟の名前を全て空で言える人は少ない。だが清水の次郎長の子分の名前なら10人はおろか20人もその名前が飛び出すのは虎造の浪曲のせいだろうか。来年の大河ドラマ「花燃ゆ」。松下村塾の高弟は久坂玄瑞、高杉晋作。これに吉田稔麿と入江九一を加えて「四天王」と呼ばれる。このほかに松浦松洞、寺島忠三郎、赤根武人。いずれも非命に倒れた塾生たちである。これに対して、明治の高官となった塾生は、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎、山田顕義、前原一誠。内務大臣・逓信大臣となった野村靖(画像)は入江九一の5歳下の弟である。靖は入江家の三男で、幼い頃に野村家の養子となった。
その他の塾生の名前のみ記す。高須滝之允、佐々木梅三郎、玉木彦介、佐々木亀之助、斎藤栄蔵、倉橋直之助、増野徳民、高橋藤之進、佐々木謙蔵、中谷正亮、福川犀之助、平野植之助、国司仙吉、大賀春哉、久保清太郎、岡部富太郎、有吉熊次郎、滝弥太郎、馬島春海、村上卯七郎、土屋恭平、熊野寅二郎、妻木寿之進、大野音三郎、藤野荒次郎、入江宇一郎、冷泉雅二郎、岸田多門、横山重五郎、駒井政五郎、許道、阿座上正蔵、瀬能百合熊、飯田吉次郎、尾寺新之允、馬島甫仙、中村理三郎、提山(松本鼎)、天野清三郎(渡辺蒿蔵)、岡田耕作、中谷茂十郎、弘勝之助、山根武治郎、原田太郎、黒瀬安輔、冷泉友、河北義次郎、佐々部謙斎、栗田栄之進、荻野時行、青木弥一、時山直八、富樫文周、大谷茂樹、南亀五郎、木梨平之進、福原又四郎、伊藤伝之助、岡仙吉、杉山松介、正木退蔵、生田良佐、飯田正伯、河内紀令、竹下琢磨、竹下幸吉、原田熊五郎、小野為八、岡守節、山根孝中、大林寅介、坂道輔。
汽車や停車場は印象派の画家たちに好まれた画題であった。当時の鉄道は近代生活の象徴であり、当時の都市部の華やかな生活を描こうとしていた彼らにとって理想的なモチーフとなった。だから、モネやマネ、ピサロたちは汽車や駅、線路を描いた。
モネ 「サン・ラザール駅」
ピサロ 「ロードシップ・レイン駅、アッパー・ノーウッド」
モネと親友だったルノワールも「アルジャントゥイユの鉄橋」という同名の題の絵を描いている。しかしルノワールは近代的な題材よりもむしろ自然や裸婦といった古典的なモチーフを好んだようである。ゴッホもパリ時代に煙を吐いて走る汽車を題材にしている。しかし、ゴッホが汽車や駅そのものを選んで描いたという例は少なく、この印象派的画題は彼の性格にぴったりとくるものではなかったと考えるべきであろう。
本日は、絢香と安藤美姫の26歳の誕生日。絢香といえば「花子とアン」の主題歌を担当し、2年ぶりに紅白出場を決めた。一度紅白落選すると復帰はなかなか難しいのだ。
ところで紅白51組の全出場歌手の中で、グループ出場を除く一番若い女性歌手は誰か?20代は次の6人。(曲目は予想)
絢香「にじいろ」 1987.12.18生
miwa「希望の環」 1990.6.15生
西野カナ「Darling」 1989.3.18生
メイ・ジェイ「Let it Go」 1988.6.20生
神田沙也加「生まれて初めて」 1986.10.1生
きゃりーぱみゅばみゅ「ファミリーパーティー」 1993.1.29生
miwaは身長148.9㎝と小柄。慶応大学卒。堀北真希主演ドラマ「まっしろ」の主題歌を担当。
西野カナは三重県出身の携帯世代の歌姫。
メイ・ジェイはハーフ。「Let it Go」は劇中は、松たか子が歌っており、松のほうがプレミア感が高く、その代役といった感があるのは否めない。歌唱力はあるので頑張ってほしい。
神田沙也加は御存じ神田正輝・松田聖子の長女。CM初出演が「アイスの実」、ドラマ初主演が「たった一度の雪」、そして「アナと雪の女王」と雪と深い縁がある。
きゃりーぱみゅぱみゅが21歳と一番若い。日本のカワイイ文化の世界的アイコンとして注目されている。
パン屋の息子としてシカゴに生まれたエリオット・ネス(1903-1957)は学校の成績も優秀で、義兄が捜査官(後のFBI)だったことから、シカゴの大学を卒業すると警察官になった。その後、義兄の紹介で、弱冠26歳でFBIの禁酒法秘密取締官「アンタッチャブル(手出し出来ない奴ら)のリーダーとなり、禁酒法を守るために敢然とアル・カポネに戦いを挑んで、2年半をかけて刑務所送りを果たした。アンタッチャブル解散後、1935年クリーブランド地方政府の治安本部長に就任するも、1942年に飲酒運転で当て逃げ事故を起こし辞任させられる。オスカー・フレイリーが彼の実伝を書いたが、この本が出版される直前にネスは心臓発作で亡くなった。
人生食べて寝ていれば何もしなくていいのだが、何もしないのも退屈である。趣味とは職業や専門としてではなく、愉しみとしている事柄である。趣味の種類を大きく8つに分類する。
運動など体を動かすこと…ジョギング、自転車、テニス、水泳、登山、柔道、剣道、合気道、ヨガ、ダンス
体をあまり動かさずに知的に楽しむこと…読書、ゲーム、パチンコ、百人一首、俳句、短歌
写真、パソコンなど道具を必要とすること…ピアノ・ギターなどの楽器演奏、カラオケ、模型、絵画、陶芸
学習に関すること…書道、ペン習字、手話、英会話、点字、クイズマニア、ブログ
つくること、食べること…料理、手芸、編み物、キルト、家庭菜園
鑑賞すること…映画、美術館、古寺旧跡巡り、野球・サッカーなど競技せずに応援すること、観劇
収集・コレクション…切手・古本・フィギュア
その他…散歩、ショッピング、旅行、釣り
本名の太田雅子の名で日活青春スターとして活躍後、改名して女侠客や不良少女を演じて人気をえる。ポスト・藤純子として東映に迎えられ、「女囚701号・さそり」に始まる「さそり」シリーズで人気沸騰。勝プロ製作の「無宿(やどなし)」(1974)に出演している。勝新太郎と高倉健の共演という珍しい作品。三人が小舟で海底の宝物を探すお話。フランス映画「冒険者たち」みたいだ。リメイクか翻案物か知らないが珍品。つまりアラン・ドロンが高倉健で、リノ・バンチュラが勝新。そして梶芽衣子がジョアンナ・シムカス。高倉は山田洋次「遥かなる山の呼び声」では「シェーン」の翻案物に出演。
梶のヌードは代役のようだが、表情はとても自然でいい。全体の牧歌的なムードもよい。公開時は評判にはならなかったが、主演の2人がこの世の人でない今みると懐かしさとともに郷愁を感じさせる旅情がある。
レースクイーン出身のタレント「おのののか」。名前に「の」の字が3つ並んでいる。珍しい芸名を探す。世志凡太(せしぼんた)の芸名はフランス語の「セシボン」(それは素敵だ)からきている。むかしシャンソンの「セ・シ・ボン」がアメリカのジャズでヒットし、世界的に流行した。それにしても、粋でシャレていてクスっと笑える芸名だ。
昭和を代表するコメディアン益田喜頓は、アメリカの喜劇王バスター・キートンに由来するが、やはり芸名に風格というか気品が漂う。山茶花究(さざんかきゅう)も九九の「3×3=9」がベースとなっているが、こどもの頃は「山茶花」が読めなくて「やまちゃばな」と言っていたのを思い出す。山茶花究と同じ「あきれたぼーいず」の芝利英はモーリス・シュバリエだそうだ。谷啓もアメリカのミュージカルスター・ダニー・ケイのもじり。久石譲もクインシー・ジョーンズのもじりだとは知らなかった。漫談師の森野福郎は、ほのぼの系の芸名でクスっと笑える。はせさん治は「馳せ参じる」(大急ぎで参上する)からくる。漫才・蝶々雄二の南都雄二も「何という字?」から来ているらしい。味のある演技の右左田一平は酒好きで「そうだ、1杯やろう」から。二枚目の加勢大周は勝海周の語呂合わせらしい。佐藤B作は政治家・佐藤栄作のあやかり。反町隆史はボクサーの龍反町に因む。「およげ!たいやきくん」の子門真人はイエスの弟子シモン(ペテロ)からくる。キートン山田はバスター・キートンからくる。二つの芸名をかけあわす方法はよく使われるが、桜田聖子は桜田淳子+松田聖子。さくらももこは桜田淳子+山口百恵。歴史上人物のあやかりは、藤原釜足(藤原鎌足)、西郷輝彦(西郷隆盛)、ガッツ石松(森の石松)、根津甚八(真田十勇士の一人)など多い。駄じゃれ系としては本名をもじることが多い。モロ師岡、寺門ジモン、浅越ゴエ、たかたかし、のこいのこ、段田男など。
たけし軍団にもユニークな芸名は多いが下品で侮蔑的なニュアンスがあり、クスっと笑えない。いまではメディカル・ドラマは多いが、その先駆となったのが「ベン・ケーシー」。白衣を着た医療漫談・ケーシー高峰は名前を聞いただけで、思わずクスっと笑える。ゴールデンボンバー樽美酒(だるびっしゅ)研二。
作家の江戸川乱歩はエドガー・アラン・ポーのもじりということは有名であるが、花登筐がイギリスの劇作家バーナード・ショウに由来することはあまり知られていない。
映画「群衆」を見ていたら、ホームレスのゲーリー・クーパーがジョン・ドゥー(John Doe)という名前。よくわからないが、名無しの権兵衛という意味だそうだ。
高倉健追悼番組をテレビでさかんに放送している。健さんの代表作といえば「日本侠客伝シリーズ」「網走番外地シリーズ」「昭和残侠伝シリーズ」など任侠ものであるが、時代の流れか、ヤクザ映画は放送できず、主に50歳以降の健さんを見ている。生涯105本の映画出演というのは大スターとしては決して多いほうではない。1980年以降の作品はわずか17本。しかし80歳になるまで主演だったというのは過去の大スターでもあまり例がない。片岡千恵蔵や嵐寛寿十郎でも晩年は脇にまわっていた。健さんは寡黙で不器用なタイプの俳優なので幅広い人物を演じることはなかった。老人や悪役は一度もない。「鉄道員」「ホタル」「あなたへ」など監督や脚本家は高倉健そのものをスクリーンに登場させている。このような俳優はもう二度とでないかもしれない。フランスのジャン・ギャバンやアメリカのジョン・ウェインのような存在である。
英語で「ヘロストラトスの名声」という表現があり、どんな犠牲を払ってでも世間を騒がせ有名になるという意味の言葉がある。むかしへロストラトスという羊飼いがエフェソスのアルテミス神殿に放火した。捕まったヘロストラトスは罪を悔いるどころか、自分の名を歴史に残すため、最も美しい神殿に火を放ったと述べた。怒った市民はヘロストラトスを死刑に処しただけではたらず、この先へロストラトスの名を口にした者は死刑にして彼の名前を歴史から抹殺することを決めた。だが現実にはヘラストラトスの名は著名人とは言わないまでも、21世紀の時代ネットなどで容易に調べることができる。
世間をアッといわせたいとおもう人間はいつの世にも現れる。1926年11月のある朝、パリに住む若い飛行家レオン・コローは周囲の人にエッフェル塔の股くぐりを実行すると言い出した。なんでそんな危険なことをやるのかという質問に対して、コローは「シャン・ド・マルスに住んでいる歯科医の兄貴をびっくり仰天させるためさ」と答えたという。コローの操縦の腕前はあざやかで、民衆も成功するのではないかと期待した。だが不運にも真正面に太陽が顔を出して、コローが一瞬目がくらみ、つぎの瞬間、無線用アンテナに機体の一部がひっかかり墜落した。コローは即死し、新聞には「近来まれな愚挙」と書かれた。だがレオン・コロー(24歳)の名前はエッフェル塔の歴史の1コマに記されている。(Herostratus,Herostratic fame,Tour Eiffel,Leon Collot)
1180年、奥州にいた源義経は弁慶、佐藤継信、忠信らを率いて平家を討つため屋島に向かった。この地で敗北した平家は壇ノ浦へと落ち延びる。この屋島に檀の浦という地名がある。檀の浦は入り江に望み後ろは険しい屋島の峰。戦には地の利を得た場所であった。継幸は平教経が義経を狙って放った矢を身代りとなって戦死した。この美談を基にのち謡曲「屋島」が生まれる。西国行脚中の都の僧が、屋島で、ある塩屋に一夜の宿を求めると、漁翁は、旅僧に話を聞かせる。義経の大将ぶり、悪七兵衛景清と仁保谷四郎との綱引き、佐藤継信の最期など。あまりに詳しい物語に僧が不審をなして、漁翁の名を聞くと、なんと、義経の霊であった。
火山の噴火で埋もれた古代ローマの都市ポンペイの人々は、米シンシナティ大学の調査によると、山海の珍味を食べていたことがわかった。インドネシア産の香辛料、スペイン産の魚や塩漬けにしたもの、地元産でない貝やウニも食べた。ほかにキリンやフラミンゴも食べた。ローマの貴族たちは宴会を開いて、一日中ごちそうを寝そべって食べていた。客たちはボウルを持参し、ごちそうを食べてはそのボウルに吐き出してはまた食べる、ということを繰り返していた。広い食卓には豪華な料理が並べられ、食器や調理器具も現在とほとんど変わらないものがあった。調理器具の歴史は、鍋の類ならば火を使用した旧石器時代にさかのぼるが、鉄製の取っ手のあるフライパンの出現は、エーゲ海のキクラデス諸島に栄えた紀元前2300年から2800年頃のキクラデス文明に世界最古のフライパンが出土している。(世界史)
吉高由里子主演「婚前特急」(2011年)。自由恋愛を楽しんでいるOL池上チエは5人の男性と交際している。ある日、親友の結婚に触発されて、誰が本当の相手か査定することにした。最低はパン工場の従業員の田無。金もなく図々しく醜男で、「楽」なだけが唯一の取り柄。だが結局は田無と結婚する。結婚は理想の人よりも、長く暮らすには「楽」が一番ということか。ヒロインのチエを演じる吉高は奔放なイメージがあるが、お行儀が悪い感じでこれまで好みの女優ではなかった。「花子とアン」はなにか不自然な感じがした。だがこの作品は吉高でなければ成り立たないハマリ役といえる。劇中で石橋杏奈が扮するミカがチエの人物批評する。「他人を見下す、料理を美味しいと一度もいわない、態度が悪い、自己チュー、美人だと何でも許されると思っている」実に当たっている批判である。このような嫌われる性格のヒロインもめずらしい。武井咲や剛力彩芽にしても従来の清純派タイプを超えることはできなかった。吉高はその演技力で現代女性の悪の部分を晒しながらも、キュートな魅力を発揮している。1960年代の団令子以来の出現かもしれない。
ヨーロッパの郵便ポストの色は黄色の国が多い。フランス、ドイツ、スペインが黄色。イギリスとイタリアは赤色。「郵便受け」と郵便局の「郵便ポスト」と別々の単語の国もあれば、いずれの意味でも使われる国もある。英語は「郵便受け」はmail box、「郵便ポスト」はpost box。
フランス語 ラ・ボワトゥ・ポスタル la boite postale(郵便ポスト)
フランス語 ラ・ボワット・オー・レットル la boite aux lettres(郵便受け)
ドイツ語 デア・ブリーフカスティン der Briefkasten
イタリア語 ポスタ posta(郵便ポスト)
イタリア語 ラ・ブーカ・ペル・レッテル la buca per lettere(郵便受け)
スペイン語 エル・ブソン el buzon(郵便ポスト)
ロシア語 パチトーヴィ・ヤーシック
韓国語 ウチェトン(郵便ポスト)
韓国語 ウビョンナム(郵便受け)
奈良県橿原市にある久米寺は久米仙人の伝説でよく知られている。久米仙人は仙術を会得して空を飛んでいると、吉野川のほとりで若い女が洗濯をしているのが見えた。女は白い脹脛が見えるほど着物をまくりあげていたため、仙人は煩悩を起こして下界に落ち、神通力を失いただの人になってしまったという話である。
近世に入ると、川柳や狂歌などにも、久米仙人を題材とした作品が数多く作られる。「女湯の番をしたなら久米即死」
久米仙人は歌川国芳の浮世絵の画題(左図)にもなっているが、なぜか木曽街道44番目の宿場「落合」である。現在の中津川市で、落合大橋が架かっている。大和の吉野川から遠く離れるが、江戸時代あまり文献にはこだわらず、「落合」(おちあい)という地名から連想して、空から落ちた仙人の場所にふさわしいと考えたのであろうか。
海外旅行の思い出の土産物として「栓抜き」は手頃で世界中の種類の道具をコレクションしている人がいる。ビールのような栓抜きとワインなどのコルクの栓抜きがある。英語でbottle openerは王冠の栓抜き。corkscrewはコルク栓を抜きとるための道具。
フランス語 ル・ティール ブーション le tire-bouchon
ドイツ語 デア・フラッシェンエフナー der flaschenoffer
イタリア語 アプリボッティッリア apribottiglie(栓抜き)
イタリア語 カヴァタッピ cavatappi(コルク抜き)
スペイン語 エル・サカコルチョス el sacacorchos
NHK「思い出のメロディー」で一番に心に残った曲は長谷川きよしが弾き語りで歌うシャンソンの名曲「愛の讃歌」だ。これまで聞いた岩谷時子訳詩とは違う。エディット・ピアフの原詩に忠実な訳が心をうつ。「あなたのためなら、なんでもやってのけましょう。どんな宝物だって、お月様だって盗みに行くわ。祖国や友達だって裏切りましょう」そんな過激な詩である。歌詞は番組の趣旨とは異質である。愛をテーマにした歌は数限りなくあるが、これほど感動的な歌はほかにない。艱難のときは我が祖国とか「ふるさと」とかが大合唱されるが、「がんばろう!日本」ではなくて、無政府主義というか、コスモポリタンというか、ボヘミアンなのがいい。
英語 ソング song
フランス語 シャンソン chenson
ドイツ語 ゲザング Gesang
イタリア語 カンツォーネ canzone
スペイン語 カンシンオン cancion
ラテン語 カントゥス cantus
ギリシア語 オーデー
ロシア語 ピエースィニァ
ルーマニア語 クンテク cantec
オランダ語 リート LIED
ハワイ語 メレ mele
永正年間のこと。姫路城の城主・小寺則職の家老・青山鉄山が、お家のっとりを企てていた。しかし、この企みを忠臣・衣笠元信の許嫁で、青山家の女中であった「お菊」が探知し、城主の難を救う。しかし、そのような「お菊」の活躍も空しく、後に青山家のお家のっとりは成功。許嫁の元信は龍野に放逐される。しかし、「お菊」はその後も青山家に留まり、探索するが、ついに青山鉄山の家来・町坪弾四郎にばれてしまう。弾四郎は「お菊」にそのことを黙っている代わりに、自分との結婚を迫る。けれど、「お菊」は頑としてそれを承知しない。怒った弾四郎は、10枚1組の家宝の皿の1枚を割ってしまい、その罪を「お菊」に着せて責め殺した上、井戸に投げ込んでしまった。それからというもの、この井戸の傍に「お菊」の亡霊が現れ、「一枚、二枚・・・一つ」と皿を数える声が聞こえてくる。
姫路城には現在も「お菊井戸」が残っている。だが姫路といえば徳川家康の孫娘、千姫が本田忠刻と幸せに暮らしたところである。忠刻の死後は落飾し、天樹院と号して江戸で余生を送る。40年の長い寡婦生活が続いたため「吉田通れば」の俗謡が生まれ、吉田御殿における千姫乱行の噂が広まった。通りがかりの美男子を招き入れては、殺して井戸に投じたというのである。やがて屋敷のそばを通る者はひとりもいなくなり、天樹院は花井壱岐という、屋敷に仕えた侍をたらしこむ。ところがある日、その花井は竹尾という侍女と戯れているのを見てしまい、すっかり逆上。嫉妬に狂った天樹院は焼け火箸で竹尾の額に焼き印を押し、殺害して井戸へ投げ入れ、壱岐も長刀で殺した。ふたりの死体は井戸にうち捨てられ、そこには夜な夜な二人の亡霊が現れるようになる。二人の死骸を呑んだ古井戸のあるこの屋敷は、天樹院が没すると、とり壊されて更屋敷となっていった。その跡地を拝領したのが、旗本青山主膳である。番町皿屋敷お菊の怪談噺へと続く。
ロシア人は散歩が好きで零下20度になる冬でもシェーバやバリトー(外套)を身にまといシャープカ(防寒帽子)やウジャンカ(耳当て付き防寒帽子)をかぶり、ヴァーレンキ(フェルト靴)を履き、ベルチャートキ(手袋)をつけてしっかり防寒して外出する。
英語で手袋は、gloves。特に親指と他の指が分かれているのをミトン(mitten)と呼ぶ。
英語 グラヴズ gloves
フランス語 レ・ガン les gants
ドイツ語 ディ・ハンドシューエ der Handschuhe
イタリア語 イ・グアンティ i guanti
スペイン語 ロス・グアンテス los guantes
中国語 手套 ショウタオ
韓国語 チャンガプ
名字由来netで検索すると、自分と同姓同名の人が全国で何人いるかおよその数がわかる。試しに石原裕次郎、小泉純一郎、福山雅治と検索すると、およそ3人という結果だった。宮本武蔵という名前の人はおよそ40人もいるらしい。前田愛(1983年生まれ)は中村勘九郎夫人だが、同姓同名の別人に声優の前田愛、文藝評論家の前田愛、映像プロデューサーの前田愛らがいるので混同されやすい。スカッシュのホープは何と机龍之介。辻斬りや女略奪まで平気でするニヒルな剣士、中里介山「大菩薩峠」の主人公に酷似した名前である。親は名前のもつ強いインパクトが決め手に命名したのであろうか。「机(つくえ)」とくれば、やはり「龍之介」しかないのかな。
スーダラ節が流行った頃をリアルタイムで知っている。クレージー映画といえば東宝だが、実は大映のほうが先に映画化している。弓削太郎監督の「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられない」(1962年)。植木等やクレージー・キャッツの出番はほとんどなく、川口浩と川崎敬三のサラリーマン映画。イケメン社員とBG、社長令嬢、未亡人などとのラブコメ。浜田ゆう子、藤原礼子、渋沢詩子、万代敦子、目黒幸子。と肝心の女優陣が地味目。「女優も聞かない名前の地味な人ばかりでパッとしない印象で、あまり期待していないせいか、結構楽しめた」というのが若い人のご感想。ところが職場のBG役に弓恵子と広瀬みさがチョット出演しているのが見所。数年後、東宝系のドラマ「これが青春だ」の弓恵子、「でっかい青春」の広瀬みさが女教師ヒロインになる。2人は1966年頃、フリーになったのだろか。とくに広瀬みさは1969年に結婚で引退し出演作も少ないが「スーダラ節」にはクレジットにもないがファンには貴重な映像だ。広瀬はドラマ「霧の旗」(1967)柳田桐子を演じている。
明治の奇術師といえば帰天斎正一(1843-没年不詳)、柳川一蝶斎(1847-1909)、松旭斎天一(1853-1912)らが知られる。帰天斎は初め落語家であったが、渡欧して1874年に帰国し、西洋手品を日本に紹介した。1887年ころから寄席へ出、「洋術首切」などをはじめ、火中に投じたハンケチから万国旗を出してみたり、こわした時計をなおしたりする新基軸の手品をみせた。晩年は大阪の2代目に名前を譲って引退したと思われ、1917、18年ごろは長野善光寺のほとりで易占いをしていたともいう。3代目柳川一蝶斎はパリ万博出演のため、渡欧し、各国巡業で評判となる。1869年帰国し、蝶柳斎と改名。1896年に3代一蝶斎をつぐ。初代からの「うかれ蝶の旭」を得意とした。松旭斎天一は1889年明治天皇御前公園で政財界の知遇を得、奇術界の権威者となる。のちに「魔術の女王」といわれた松旭斎天勝は弟子であり、愛人でもあった。
参考文献;山本慶一「西洋手品の開祖・帰天斎正一」 奇術研究51、宮岡謙二「異国遍路 旅芸人始末書」 1959
柏原芳恵の「花梨(カリン)」(1983年)を聴く。
元気でいると手紙下さい
ただ一言だけでいいから
朝のポスト 胸が痛みます 今も
切ない歌詞が実にいい。だが今や世の中、メールや携帯の時代。平成生まれの若い人には理解できない心情かもしれない。このような歌を「死語歌謡曲」と呼ぶことにする。
梶光夫と高田美和「アキとマキ」。発表当時は人気だったが、聴くだけで気恥ずかしいようなデュエット曲だった。だがカラオケで歌う人をわたしは一度も聞いた事が無い。そしていまでも「交換日記」をしている若いカップルがいるとは思えない。他にも「夜霧のハウスマヌカン」(やや)、「素敵にシンデレラ・コンプレックス」(郷ひろみ)などタイトルからしてすでに死語歌謡曲である。
衛門三郎は強欲非道な役人であったが、ある時、毎日門前に立つ旅僧を追っ払うため撲りつけたところ、8人の子が次々と死んでしまった。弘法大師といわれる旅の僧を追って四国中をめぐり、漸く会って前非を悔い、息絶えた。その翌年、河野氏の本家で生まれた子が、3歳になって、握りつづけていた左手を開くと、衛門三郎と刻んだ石が出た。この子は、のち息方(やすかた)と名のって伊予国守となり、善政をしいたという。
今月のテレビ界は松本清張、生誕105年で、清張の名作が多数放送される。地上波では二夜連続「坂道の家」「霧の旗」。作品は現代におきかえられるので職業など改変されることがある。「坂道の家」では原作ではキャバレーのホステスだが美容師、老人が小間物屋が布団屋。「霧の旗」原作では柳田桐子の兄が逮捕されるが、今回は知的障害の弟と改変されている。BS・CSでは「霧の旗」(植木まり子、大竹しのぶ)、「老春」(井上順)、「天城越え」、「一年半待て」(多岐川裕美)、「依頼人」、「顔」、「風の息」(根津甚八)、「恐喝者」(古谷一行)、「山峡の章」(音無美紀子)、「虚飾の花園」、「黒い画集~紐」(余貴美子)、「馬を売る女」、「地方紙を買う女」、「突風」、「内海の輪」、「時間の習俗」、「種族同盟」、「書道教授」(近藤正臣)、「棲息分布」、「脊梁」(池上季実子)、「たずね人」「遠い接近」、「中央流砂」、「火の記憶」、「共犯者」、「黒の回廊」、「波の塔」、「ゼロの焦点」、「迷走地図」、「西郷札」などが見られる。
昔、ヨーロッパでは庶民には苗字がなく、名前だけで暮らしていた。苗字の代わりに、その職業で呼ばれることが多いので、職業がそのまま名前として伝わることが多い。つまり姓をみればご先祖の職業が大方わかる。パン屋はベーカーBaker、大工はカーペンターCarpenter、桶屋はクーパーCooper、肉屋はブッチャーButcher、牧師はチャップリンChaplin、ビール製造業はウェブスターWebster、陶器職人はポッターPotter、料理人はクックCook、羊飼いはシェパードShepherd、皮なめし職人はタナーTanner、仕立屋はテイラーTaylor、鍛冶屋はスミスSmith、フェラーリFerrari、粉ひき屋はミラーMiler、農夫はファーマーFamer、商人はカウフマンKaufman、漁師はフィッシャーFisher。マーラーはヘブライ語で割礼執刀人を意味するMahelに由来する。作曲家マーラーは姓だけでユダヤ人だとわかる。ドイツ語で「マーラMaler」は「画家、ペンキ屋」という意味。発音が近いのでよく「マーラーは作曲家なのに、画家とはこれ如何に」とよくいわれることがある。本当はMahelとMalerは異なる。
フィンセント・ファン・ゴッホの代表作といえば、「ひまわり」を思い浮かべる人は多い。よけいなものはすべて省略し、輝くような黄色を大胆に画面に広げて描いている。この独創的な「ひまわり」の連作は、彼がアルルで借りて通称「黄色い家」の部屋の装飾画として、一緒に暮らすことになったゴーガンのために描きはじめたものだった。手紙のなかでゴッホは、ゴーガンを迎えるために「12枚のひまわりの絵で部屋を飾るつもり」であると、述べている。しかも「12本の花と蕾のあるもの」の予定であったらしい。おそらくこの「12」という数字は、キリストの12人の弟子たち、つまり十二使徒を表わしているのだ。しかし、連作を意図して実際に描かれた2枚目の「ひまわり」には、14本の花がえがかれている。新たに加わった2本のひまわりは、指導者として芸術共同体を導くべきゴーガンと画商テオと考えられている。12枚の「ひまわり」全作品リストは以下のとおり。
1.1886秋(F250)マンハイム市立美術館蔵
2.1887秋(F377)ゴッホ美術館蔵
3.1887秋(F376)ベルン美術館蔵
4.1887秋(F375)メトロポリタン美術館蔵
5.1887秋(F452)クレラー・ミュラー美術館蔵
6.1888年8月(F453)個人蔵
7.1888年8月(F459)芦屋、山本顧弥太氏旧蔵
8.1888年8月(F454)ナショナル・ギャラリー蔵
9.1888年8月(F456)ノイエ・ピナコーク蔵
10.1889年1月(F455)フィラデルフィア美術館蔵
11.1889年1月(F456)ゴッホ美術館蔵
12.1889年1月(F457)東郷青児美術館蔵
小林英樹著『ゴッホの復活』によると、7番と12番のひまわりは贋作であるという。つまり既に焼失した「芦屋のひまわり」と1987年に安田火災海上が約58億円で購入した「東京のひまわり」は贋作と断定している。その鑑定が正当であるかどうかは、本書を精読していただきたい。(とくに第8章、非ゴッホの造形的証明)
12枚のひまわりの作品の中で最も有名なのは、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵(8番)のものであろう。この絵でゴッホは、最も好んだ黄色を強烈に背景に使っている。「芦屋のひまわり」は、「ロイヤル・ブルーの背景の向日葵」と手紙にあるものと推定されるが、サイズや花の数が一致しない点も謎である。小林英樹はレプリカタイプの贋作と指摘している。
「東京のひまわり」で小林はテーブル面に注目している。当時のゴッホの念頭には、徹底した平面処理を行うことによって広がりを生み出せるという信念があった。たしかに「ナショナルギャラリーのひまわり」をはじめ他の「ひまわり」のテーブルは平らに塗っているが、「東京のひまわり」だけは乱暴な厚塗りの水平方向のタッチである。平らなテーブルと花瓶、フォルムを構成するうえで重要な意味をもつものであり、「東京のひまわり」はゴッホのイメージからは遠い、と小林は言う。
「東京のひまわり」の真贋の判断の1つキャンバス生地を調査する方法がある。アルル時代に20mのジュートを購入し、共同制作したゴーギャンと半分にしてお互い同じ布地で描いたことが知られている。つまりジュートであれば本物ということになる。「最近行われた科学的調査は、支持体に使われているジュート地がゴーギャンの「アリスカンの並木路、アルル」のそれと同一である」とゴッホ展図録2005年に記されている。シカゴ美術館の学芸員がX線写真で調査した結果、「東京のひまわり」は織り糸の配列に矛盾なく正確に合致していた。そのため贋作でないことが証明された。つまり小林が指摘したテーブルの平塗りは、目の粗いジュート布のためだったのである。
西洋人名を漢字で表したり、日本語で発音すると奇妙な名前になることがある。とくに中国では音訳して、もとの発音に近い漢字を充てる。例えば、ノルウェーの劇作家イプセンは「易卜生」と書き、易者のような名前になる。日本でもむかし「チョピンとは俺のことかとショパンいい」という川柳がある。ショパンはChopinと書く。「コンズ」と言われてすぐに「孔子」のことだと分かる日本人は少ないだろう。同じように、「もうたくとう」と言われて「毛沢東」と分かる中国人も少ない。マオ・ズァドン(Mao Zedong)と発音するからだ。
佐賀県唐津市に「たんこぶちん」という変わった名前のガールズバンドがいる。同じように「タンコブ」という奇妙な俳優がいると聞いた。調べると、ロシア人の名優イェヴグニー・ワフタンゴフ(画像1883-1922)だった。モスクワには「ワフタンゴフ劇場」という劇団がある。
むかし民族学者の梅棹忠夫が中東方面の旅から帰ってきて日本についたとき、町にあふれる女性の数と、その美しさに、いちばんつよい印象をうけたそうだ。イスラム女性のほとんどは、外にでるとき顔や髪をベールで覆っている。家にあっては、女だけの部屋にこもってしまう。お客があっても顔をみせない。こんな不思議な習慣がどうして発生したのだろうか。ベールを被ることは、イスラム教を起源とするものではない。イスラム以前の東ローマ帝国の時代にすでに上流階級の女性は被っていた。次第にその習慣は、普通の女性と娼婦などとを区別するものとなった。普通の良い女性はベールを被ることになった。この習慣は次第に緩められられる傾向に向かうと思われたが、近年は、エジプトや東南アジアの都市部で近代的生活をしている女性が、あえてヒマールなどと呼ばれる、顔をカトリックの尼僧のように覆う女性が増えている。これを復古主義、イスラム原理主義の勢力拡大とみなす人もいる。
ベールや衣装は国によってさまざまな呼び名がある。「二カブ」「ブルカ」、スカーフのことを「ヘジャブ(ヒジャーブ)」「ジルパブ」、そのほか「チャドル」、「アバーヤ」など。
国民の9割近くがイスラーム教徒のインドネシアでは、カラフルなジルパブが流行している。
赤穂義士はふつう四十七士としている。これは荻生徂徠が「四十七士の事を論ず」の中で、寺坂吉右衛門は大石良雄の密命を受けて離脱(これを黙契という)したと考えたからである。元禄事件が史実を離れて文芸としての「忠臣蔵」とみるならば四十七士でもよかろう。しかし歴史として史料から検討すると、寺坂の黙契説には疑問がある。原惣右衛門の手紙によれば、「寺坂はどう気後れしてか、今少しのところまで来ながら逐電した」とある。寺坂の主人である吉田忠左衛門の記述には「寺坂は不届者、二度と彼の名を言ってくれるな」(堀内伝右衛門筆記)とある。吉田は寺坂が連判状に名を連ねながらいなくなったことに対して「彼は除名だ」という意志を表明しているのである。寺坂が逐電しても世間で問題とならなかったのは、足軽の参加を壮とし称賛する心から、寺坂は知らせの使に行ったのであろうと推測したからである。寺坂の孫信成が編纂した「寺坂私記」なる史料があるがむしろ顕彰するための作り話が多い。またウィキペディアなどに寺坂が四十七士が切腹した後、幕府に自首したとあるが、これも作り話の可能性が高い。四十六士と寺坂の生との間には大きな隔たりがあると考える。平成元年、赤穂市尾の別冊赤穂市史では寺坂は逐電し、義士は46人であるとしている。これは神戸大学の八木哲浩の研究成果が基になっている。これに対して地元の郷土史家たちが異議を唱え、平成4年には当時の市長が「義士は47人である」とする見解を市議会本会議で表明している。政治的、経済的なさまざまな思惑や利権が絡んで騒動となったが、平成9年に市から「赤穂義士論」という冊子を刊行し、飯尾精と八木哲浩との両論を併記することで、この問題は今後の研究にゆだるねことにしている。(参考:八木哲浩「寺坂吉右衛門、その実像」兵庫県の歴史27)
むかし流行った歌にこんなのがあった。
「明日という字は明るい日と書くのね」「若いという字は苦しい字に似てるは」(アン真理子・悲しみは駆け足でやってくる)
漢字をバラバラに分解したり、直観で漢字をとらえる新鮮さ。最近は「感字」という新語があるそうだ。漢字の形を残したまま線質を変化させ、イラストとして描く。右画像は「巻」の字を変化させた一例。
石野真子は「春ラ!ラ!ラ!」で「春という字は三人の日と書きます。あなたと私と そして誰の日?」と歌った。「三+人+日=春」。このような漢字の遊びは古く平安時代からあるようだ。「むべ山風を嵐といふらむ」(文屋康秀)や「雪ふれば木ごと(毎)に花ぞ咲にける」(紀友則)などの例。「山+風=嵐」「木+毎=梅」。このような逸興を見せる知的遊戯は「離合」と呼ばれている。
フレデリック・ショパン「別れの曲」とは、練習曲作品10 第3番のことでショパン自身がつけた題名ではない。日本で「別れの曲」の愛称で親しまれているのは1934年のドイツ映画の邦題「別れの曲」に由来する。甘美なメロディーで知られ、ショパン自身も「一生のうち2度とこんな美しい旋律を見つけることはないだろう」といっている。もともと歌詞はないが、世界一美しいメロディーなので、日本語歌詞も多数つくられている。最も有名なのは堀内敬三(1897-1983)の歌詞。
春の日 そよ風 花散る緑の丘
こずえを 楽しく渡る鳥の 影よいずこ
野路には 木枯らし
別れの雲は曇る
過ぎし日 心に抱きて
はるばる さびしく 越え行く山や川
せめても我とあれ
忘れじのわが歌 わが歌
水口幸子の「別れの曲」の歌い出しは、「♪花深き この庭草萌ゆる かの丘よ」。
1985年の大林宜彦監督の「さびしんぼう」には全編に「別れの曲」が使われている。エンディングに使われる富田靖子が歌う主題歌はショパン「別れの曲」に売野雅勇が歌詞をつけたもので「♪さよなら あたなに出会えて うれしかった」で始まる。ほかに2011年に平原綾香が作詞し「別れの曲」をシングル曲としてカバーしている。「♪思い出す 最後に君と過ごした季節」で始まる。
全身タイツ姿でヌーブラを身に着け、「ヌーブラ・ヤッホー」と歌う女性お笑いコンビ「モエヤン」。この「ヤッホー」という言葉は、日本ではいつ頃から使われているのだろうか。青空文庫で検索すると、久生十蘭の小説「キャラコさん」(1939年)で梓という美しい娘が志賀高原で「ヤッホー」と叫んでいる。
広辞苑では「山での呼び声。互いに所在を明らかにし、あるいは歓喜を表わすときな発する」とあるが、何語とも書かれていない。おそらく18世紀か、19世紀にかけて、アルプスに登った人が叫んだのではないかと推測される。一説によれば、あるドイツの登山家が、素晴らしい景色を眼前にして、「ヤハウェ」と大声で感謝の祈りを捧げた。ヤハウェとはイスラエル人が崇拝する絶対的神の御名である。これが19世紀に登山家の間に広まり、「ヨッホー johoo」となった。この叫び声が日本に伝わったのは昭和の初めころる「ヨッホー」は日本人に言いやすいように「ヤッホー」と変化した。
アジアで貧しい国といえばアフガニスタン、ブータン、バングラディシュ、ラオス、カンボジア、ミャンマー、イエメン、ネパール、モルディブの9ヵ国といわれる。これにフィリピンを加えたい。人口は日本に次ぐアジア第7位の大国。しかし1950年代、日本についでアジア第2位の経済成長だったフィリピンは、現在アジアの中で最低クラスの貧困国に転落している。ロンドン五輪でもフィリピンの情報は皆無だった。アトランタでフィリピンのマンスエト・ベラスコがボクシングで銀メダルを獲得して以来、シドニー・アテネ・北京・ロンドンと4大会メダル0である。フィリピンの国名の由来は?答えられる日本人がどれだけいるだろうか。1521年、マゼランがヨーロッパ人として初めて、この島を訪れた。1534年、スペインはこの島をスペイン植民地とすることを決定、1565年レガスピがルソン島のマニラを占領し、時の国王フェリペ2世にちなみ、フェリピナFelipinaとした。現名フィリピンは、スペイン語フェリピナが英語化したものである。植民地時代のなごりがあるため、国名を「マハルリカ」とする動きがある。(Philippines)
2014年のNHK紅白歌合戦出場者がこのほど発表された。選考基準は➀今年の活躍②NHK独自の世論調査③番組の企画・演出の3点とある。だがむかしほど大衆が知るヒット曲がない時代、➀で選考される歌手は少ない。松本人志や小倉智昭が「ヒット曲ないのに選ばれている人が何人もいる」と不満を述べている。歌手に限らず、会社の昇進など人物評価は難しい。過大評価と過小評価に泣かされるのは、この世の常である。むしろ紅白出場などに気をとらわれずにマイ・ペースでいこう。80年代の代表的アイドル柏原芳恵は過小評価されすぎのトップアイドルだった。1981年から1986年の間に18曲が10位以内にランキングされるも、紅白出場はわずか2回だった。それにめげることなく、あれから34年が経つが柏原芳恵はいまも地道に地方公演を中心に歌手活動をしている。代表曲「最愛」は周慧敏(ヴィヴィアン・チョウ)がカヴァーしてアジアではとても知られているポップスである。
「有為転変は世の習い」台風18号広島土砂災害。御嶽山噴火、解散総選挙。はげしく移り変わって、少しもとどまっていないのが、この世のならいである。「エボラ」の恐怖が世界中を震撼させた一年だった。11月、健さん死去。「♪義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」安倍首相は議員全員の首を斬った思いを「健さんのように信念を貫く」と語る。しかし直後に長野で震度6弱の地震発生。アベノミクス解散は前途危うし。「虫歯ポーズ」「壁ドン」など今年も奇妙な言葉が流行するが、それも社会や世相の断面を反映している。イケメンが女性に覆いかぶさるように「ドン」と壁に手をついて愛の言葉をささやく。少女漫画から生まれた壁ドンが今や女子の憧れ。ドラマ「きょうは会社休みます」で福士蒼汰の壁ドンに綾瀬はるかの胸もドキドキ高まるシーンも面白い。今年話題の新語・キーワードを集める。
虫歯ポーズ
アイスバケツチャレンジ
アギーレ
ありのままの
逸ノ城ショック
エボラ出血熱
大人AKB
御嶽山噴火
家事ハラスメント
割烹着
勝てない相手はもういない
カープ女子
壁ドン
ゲスの極み乙女
げん玉
号泣会見
こけしブーム
こころの定年
こじらせ系女子
子供を産まないのが問題
サイコパス
サルベージパーティー
サンゴ密漁
集団的自衛権
セクハラやじ
ダイオウイカ
大義なき解散
ダメよ~ダメダメ(日本エレキテル連合)
タモロス
ダンジョン(迷宮)
デング熱
天使すぎる
転妻
ヌーダル
バクマン
ハーフハーフ
ビットコイン
昼顔
不器用
ヘイトスピーチ
ベースロード電源
暴走老人
ほだれ祭り
マウンティング女子
真榊
まさ土
ミドリムシ
虫歯ポーズ
無理チュー
妖怪ウォッチ2
吉田調書
リケジョ
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