小熊秀雄忌日
小熊秀雄(1901-1940)は、昭和15年11月20日、東京の豊島区千早町のアパートの一室で39歳の若さで死んだ。「泥酔歌」という詩はおそらく死ぬ前年ごろに作られたものであろうか。
暗い隅から
レコードが歌ひだした
不安なキシリ声から始まった
哀愁たっぷりのジャズだ
女に歌の題をたずねると
「夢去りぬ」といふ、
俺はそれを聞くと
酔ひが静かに醒めてきた
ほんとうだ 夢は去ったのだ、
とつぜん俺は機嫌がよくなった。
よろよろと扉をひらいて戸外にでた、
古ぼけた痲痺を追っている
多数の人々の姿を
俺はぼんやりと瞳孔の中に映しだした
夢去りぬ、俺は蚊の鳴くやうな
小さな声で人々にむかって呟やいた
小熊が聞いたレコード「夢去りぬ」とは、どんな曲であろうか。「夢去りぬ」は昭和14年に発売されたときは、「Love‘s Gone」という題で、ラベルにもハッター作曲、ヴィック・マックスウェル楽団演奏と刷られていた、と資料にある。当時ジャズ音楽は敵性音楽とみなされ、服部良一(1907-1993)が盟邦ドイツのタンゴと偽装して出したレコードだった。戦後の昭和23年に霧島昇が日本語歌詞のレコードを出した。
ところが、当時を知る老人(高柳重信)の思い出を語るブログ記事では、確かに日本語歌詞で題も英語ではなく、日本語の「夢去りぬ」であったといっている。これを老人の記憶違いと記事者(須永朝彦)は書いているが、この小熊秀雄の「泥酔歌」を読むかぎり、「夢去りぬ」は「レコードが歌ひだした」とあることから、歌詞があったようで、女(カフェーの女給)が咄嗟に英語の題を訳して「夢去りぬ」といったとは考えにくく、おそらくレコードのレーベルに日本語で「夢去りぬ」と書かれていたのであろう。つまり「夢去りぬ」は二種のレコードが昭和14年に存在していたのである。
抵抗の詩をうたいつづけた詩人・小熊秀雄と音楽家・服部良一という二人のモダニスト・芸術家が日中戦時下、お互い名前も知らぬまま間接的に遭遇していたのである。「夢いまだ さめやらぬ 春のひと夜 君呼びて ほほえめば 血汐おどる ああ 若き日の夢 今君にぞ通う この青春のゆめ さめて散る花びら」
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