現代におけるニヒリズム
ニヒリズム nihilism とは、この世界には真理、本質的な価値などないとする哲学的立場である。名称はラテン語のNihil(無)に由来する。
日常生活を営む中で、我々の周囲には常に他者がいる。恋人や友人、家族、職場の同僚、単なる知人や全くの見知らぬ人。相手の親しさや関わりの深さはそれぞれの異なるものの、我々は常に他者との繋がりを求めているように思われる。そのため、他者による拒絶に出会って、目標追求を喪失するという体験をしばしばもつ。たとえば、恋人からの別れの言葉、友人のからかい、イジメ、知人による無視、両親の無理解など。その程度に差はあるが、社会的拒絶はわれわれすべての人の日常生活に偏在している。このような社会的拒絶は、当事者にとって極めてネガティブな体験であり、苦痛となる。「なぜ相手から嫌われるのか」「自分のどこが悪かったのか」と不安を感じる。そして生きていくことそれ自体が無意味に感じられたりする。これは程度の差こそあれ、すべての人が抱く感情である。哲学的定義としてのニヒリズムではないが、日常的なニヒリズム体験である。明るく希望を持ち、努力を通じて自己を実現し続け、死への恐れを全く知らないで大往生することが、はたして究極の人生であろうか。耐え難い苦痛や不安の中でニヒリズムとつきあいながら、平常心で死んでいくという立場もあるのではないか。
中村修二が元勤務先の日亜化学に対して仲直りを求めたところ、断られたという。ノーベル賞や文化勲章をもらった自分はエライので、何でも通用すると思ったのだろうが不発に終わった。ネットではむしろ日亜化学の対応を支持する意見も多い。そもそも企業は利潤を追求するところで、親睦会ではない。退職者と仲良く面談する必要などないというニヒリズムの世界。中村は優れた研究者ではあっても思想や行動はいただけない。
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>中村は優れた研究者ではあっても思想や行動はいただけない。
同感!
投稿: ファー | 2014年11月 9日 (日) 17時52分