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2014年11月20日 (木)

ああ、「東京行進曲」

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モガ・モボ全盛の銀座風景(昭和4年)

   モダン・ボーイとか、モダン・ガールという言葉がしきりに使われた昭和4年頃、若い女性が職業婦人として新しい職場へ進出した。スチュワーデスの前身であるエア・ガール、そしてバス・ガール、マニキュア・ガール、マネキン・ガール、ダンサー、電話交換師、美容師、雑誌編集員などパーマネントや断髪の彼女たちは、若い女性の憧れの職業だった。

  長い髪した   マルクスボーイ

  今日も抱える 「赤い恋」

  かわる新宿 あの武蔵野の

  月もデパートの 屋根に出る

    この年、「ジャズ」「ダンサー」「リキュール」「ラッシュアワー」「シネマ」「デパート」などの横文字を散りばめて東京の最先端風俗を表現した流行歌「東京行進曲」が25万枚の大ヒットとなった。「東京行進曲」は、菊池寛の小説を原作とした日活映画「東京行進曲」(溝口健二監督、夏川静江主演)の主題歌だった。西条八十・中山晋平のコンビで佐藤千夜子が唄った。つまり「東京行進曲」は、映画、レコード、ラジオという新しいメディアの相乗りで作ったマスコミ主導型の大ヒットだった。ただし前掲の4番の歌詞は、レコード会社の意向で「シネマ見ましょかお茶のみましょか」と変更されて売り出された。

   「東京行進曲」以降、流行歌の世界では、東京は繰り返し歌われるかっこうの題材となった。また東京物はヒットするというジンクスのようなものが生れた。実際、東京を題材にしたヒット曲は多い。小唄勝太郎「東京音頭」、藤山一郎「東京ラプソディー」、岡晴夫「東京の花売娘」、笠置シズ子「東京ブギウギ」、高峰秀子「銀座カンカン娘」、美空ひばり「東京キッド」、暁テル子「東京シューシャインボーイ」、三浦洸一「東京の人」、大津美子「東京アンナ」、コロンビア・ローズ「東京のバスガール」、フランク永井「有楽町で逢いましょう」「東京午前三時」「東京カチート」、島倉千代子「東京だよおっ母さん」、神戸一郎「銀座九丁目は水の上」、守屋浩「僕は泣いちっち」、フランク永井・松尾和子「東京ナイト・クラブ」、石原裕次郎・牧村洵子「銀座の恋の物語」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、新川二郎「東京の灯よいつまでも」、三波春夫「東京五輪音頭」、西田佐知子「東京ブルース」「赤坂の夜は更けて」、井沢八郎「ああ上野駅」、竹越ひろ子「東京流れ者」、坂本九「サヨナラ東京」、黒沢明とロス・プリモス「ラブユー東京」、山内賢・和泉雅子「二人の銀座」、藤圭子「新宿の女」、青江三奈「池袋の夜」、かぐや姫「神田川」、内山田洋とクールファイブ「東京砂漠」、中原理恵「東京ららばい」、吉幾三「俺ら東京さ行ぐだ」、宇多田ヒカル「東京NIGHTS」、桑田佳祐「東京」。

   だが近年、東京を題材をした歌謡曲にヒット曲がでないのは何故だろうか?(個人的にはマイペースの「東京」が好きだ。もちろん新しい曲ではない。「東京へはもう何度も行きましたね。君の住む美しい都。東京へはもう何度も行きましたね。君が咲く花の都」というサビの部分が懐かしい青春の一曲です)ネットで探すと、ポルノグラフィティ「東京ランドスケープ」、ゴスペラーズ「東京スヰート」、小田和正「Little Tokyo」、銀杏BOYS「東京」、福山雅治「東京」、コフクロ「東京の冬」、角松敏生「Tokyo Tower」などでているようだが、ケペルの年齢のためかなじみがない。

Kitajima_hidetomo   ところで「東京」という地名はいつごろどうして生まれたか。岩倉具視の側近である北島秀朝(1842-1877)が慶応4年に「江戸を東京と改むべし」という建白書を新政府に提出している。その提言によって、江戸城の明け渡しなども終えた明治元年7月17日、「自今江戸ヲ称シテ東京トセン」という詔勅が出た。北島こそ、東京の名付け親である。

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コメント

「東京行進曲」を歌った佐藤千夜子
の評伝が出版。タイトル・『永遠の歌姫
佐藤千夜子』。版元は鶴岡の出版社。
東北出版企画である。

著者は菊池清麿氏、佐藤千夜子の古賀政男の才能発見に力点がおかれています。そのせいか古賀政男のことが書きすぎかも。でも読み応えがある。

二村本がでるようです。菊池清麿が書くとのこと。
『私の青空 二村定一』、サブタイトル・ジャズ・ソングと軽喜劇黄金時代。楽しみだ

 東京行進曲からこちらに入ってまいりました。

長い髪したマルクスボーイ、今日も抱える赤い恋の部分をレコード化に際しレコード会社の希望で変更された、、、とありますが、私の所持する
       西条八十 抒情小唄集
       昭和4年10月初版印刷
には、よく知られている
  シネマみましょか、、、
  いっそ小田急で、、
の原詩が載っています。

 また、一番の歌詞、
    ジャズで踊ってリキュルで更けて
    明けりゃダンサーの涙雨
という箇所は原詩では
    ダンサーが断髪ーふりがなは「ボップ」と
なってます。
 これは原詩の後でレコード化される時、レコード会社の希望で断髪ーボップをダンサーにすることについて西条氏の了承を得て、変更したのでしょうね。
 しかし、前項の4番の詩については、原詩では
最初からシネマみましょか、、、
になっているんです。
 もはや昔の事で、よくその間の事情は判りませんが、原詩を読んだ事のある私は、あの歌を聴くたびに、あそこはダンサーじゃないよ、ボップー断髪、なんだよ、と思いつつ聴いています。
 暇にまかせて大衆歌謡関係の書籍を渉猟しょうかと考えています。
 どうも失礼いたしました。

「六本木心中」アン・ルイス、「六本木純情派」荻野目洋子、それから吉井和哉も「東京」という歌を歌っていたと思います。

『東京行進曲』で日本のレコード界を席捲した日本ビクターや古賀メロディーの日本コロムビアに対抗した名古屋のツルレコード(アサヒ蓄音器商会)の物語が出版されるようです。『ツルレコード昭和流行歌物語』。菊池清麿が著者。出版社は樹林舎です。

『ツルレコード昭和流行歌物語』(菊池清麿・著)を拝読。東京と大阪の中間に位置する名古屋に当時の昭和流行歌の主役たちが変名を使って暗躍する。人間の流動が面白かった。「東京行進曲」のモダン風景と名古屋モダンのジャズが共存する当時の文化社会世相を知るうえではためになった。

 明けりゃダンサーの、、、ではなく、断髪(ボップ)
の、、が原詩ですね。
 もう大分昔、職場の上司が抒情詩のファンだったのでしょう。
 昭和四年発行の抒情小唄集という、当時の定価壱円五〇銭の本、彼が若き頃大事にしていたのでしょうか。
 私が詩が好きなのをどこで見抜いたのか、それをくれたのです。
 今も大事に持っていまして、もう、亡くなった上司の面影が、詩集を見るたび思い出します。

 そして、この歌が放送などで流れて、例の部分に来ると、それ違うんやで、ホンマはやな、断髪なんやで、、、と心の中でつぶやきます。

 一昨夜、投稿いたしまして,送信された事を確認いたしましたが、直ぐ消えておりました。

 それで、以前のご投稿を拝見しますと西條八十の原作が載っている詩集の価格が壱円五〇銭であること、発行が昭和四年であること、そして明けりゃダンサーの涙雨、ではなく「断髪の、、」のところが放送で流れると、原作はそうじゃないんだよ、と心の中で呟く等々の事がありました。
 私の投稿も、その事はすべて記載しましたが「盗作」と思われたのでしょうか。それで消去されたのでしょうか?
 それとも何処かの別の場所に記載されているのでしょうか?

 只今、投稿しまして確認しましたところ、掲載されていますね。
 失礼いたしました。

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