紫式部の娘
朝から小渕優子辞任のニュースばかり。親が有名人であれば、子供も生まれながらにして世間の注目をあびることが多い。小渕優子や田中真紀子が初の女性宰相と期待されたのも、毛並のよさ、才能、ルックスからであろう。平安時代の中期、藤原賢子(999-1082)はどのような生涯をおくったのであろうか。父は有能な役人で、母はあまりにも有名な「源氏物語」の作者、紫式部。紫式部は賢子が15歳のとき亡くなった。18歳ごろ、母の後を継ぎ一条院の女院彰子に女房として出仕し、藤原兼隆と結婚、一女をもうけた。母のような作家的才能はなかったものの、歌人としては人々に知られるようになった。また親仁親王のご養育に専念した優秀な乳母として、典侍に任じられ従三位に叙せられ、夫が大宰大弐になってから「大弐三位」と呼ばれる。賢子は84歳の高齢まで上流社会でのびやかに生きた。
「猪名野笹原」は万葉の時代から笹の原野が広がる歌所で、「猪名野」は現在の兵庫県伊丹市東有岡あたり。
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