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2014年10月 4日 (土)

小都市ローマがなぜ世界の中心になり得たのか?

August_falloftheroman   弓削達の「ローマ帝国論」(吉川弘文館、3150円)の広告コピーは「小都市ローマがなぜ世界の中心になり得たのか」である。欲しい。これはランケ、トインビー、あるいは塩野七生に至るまで世界史研究者の長年のテーマともいえる。だがこの書は元は1966年の出版で、歴史セレクションの1冊として復刊されたようだ。弓削達(1924-2006)は上原専禄、増田四郎の門下生。むかし河出書房「世界の歴史」のシリーズ「ローマ帝国とキリスト教」を読んだことがある。「ローマ帝国論」は原著論文集のようなので、精確に読破する自信もなく、所蔵している河出版を再読することにする。

    ある世界史の先生からのメールで「考える歴史」という言葉を聞いた。思えば吾れ歴史学を志して40有余年になるが、白髪老境にいたりて、一書も成らず、わが学問は荒みぬ。だだ漫然とブログを書くのみ。だが「考える歴史」という言葉は大切だ。「なぜか?」と自問自答することが大切なのだ。

    古代ローマが小都市というが、どれくらいの面積であったのか。紀元前5世紀なかば以前のローマはほぼ200k㎡であったという。この小さなポリスがなぜ大帝国と発展したのか。政治性としては大規模な土木建設と高度な技術により、広大な属州に軍用道路を整備して、その支配を可能にしたことなどがあげられる。政治制度や奴隷制度、強大な軍事力からも考察できる。古代帝国の国家構造の研究は東洋史の秦漢帝国と並んで研究者の華ともいえるテーマであろう。ただ中国には厳密な意味での西欧型の都市国家(ポリス)はみられず、ローマと漢との比較研究は興味あるところである。ローマの永遠性は、中世以降の宗教都市の性格によるところが大きいように思える。

    なぜ映画「ローマの休日」はローマが舞台でないといけないのか?映画の原題をよくみると、「Roman Holiday」である。Romanとは形容詞で「ローマ人の」という意味。「Holiday in Roma」では安物の観光映画になる。ロマンチック(romantic)や恋愛(romance)が込められているという説もあるが、実はそれだけではない。歴史的に考えるならば、映画「ローマの休日」には第二次世界大戦で犠牲になった人々への鎮魂が込められていると考える。当時のハリウッドは、冷戦の激化で、共産主義者への赤狩りの嵐が吹き荒れていた。こうした風潮を苦々しく思っていたウィリアム・ワイラーはアメリカを離れて映画を製作したかった。原作者には赤狩りで追放されていたダルトン・トランボを変名で起用している。主役には起用した新人のオードリー・ヘプバーンはイギリスの端役女優だが、少女時代オランダで戦争の悲惨な体験があったことも映画の成功の理由の一つであろう。ロケ地にはまだ戦争の爪跡が生々しく残る貧しいローマが最適である。それもカラーの時代にモノクロームで撮る。ローマは祈りの街、宗教の街、信仰の街である。そして永遠の都である。物語は王女の数日間の短い悲恋におわったが、永遠の恋の物語ができあがった。

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