消えた清盛遺骨の謎
日本史では悪役イメージが強い平清盛だが、大河ドラマ「平清盛」では武士の世の礎を築いた改革者の視点で描いている。平清盛に関しては、直接彼を捉えた確実性のある史料に乏しく、「平家物語」と「吾妻鏡」のみが存在している。では清盛の墓の所在はどのように記るされているのだろう。
「平家物語」によると、清盛は愛宕山で荼毘に付され、円実法眼が頸にかけて摂津国の経ヶ島に埋葬したと書かれている。「吾妻鏡」には播磨国山田の法華堂とある。この経ヶ島、法華堂が具体的にどこにあったのか不明のため、納骨の場所は特定できない。現在、有力なのは2つ。①能福寺附近の築島寺(来迎寺)説②八棟寺附近。八棟寺は現在なくなっいるが、兵庫区切戸町の清盛塚附近らしい。だが大正12年の調査で建立当初から遺骨は埋められていなかったことがわかった。つまり清盛塚は死後105年してから建立されたものである。あとは推測であるが、八棟寺の法華堂に納められた清盛の遺骨は、平家が西国へ逃れる際に持ち出し、壇ノ浦で沈んだという説。もう一つは、源氏が清盛の遺骨を奪い去ったが、仏罰を恐れて、名も無き播磨国山田の法華堂に埋葬したとの両説が考えられる。
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