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2014年10月 1日 (水)

巌流島の決闘

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 江戸時代の絵では武蔵のほうが若く描かれている

   宮本武蔵が佐々木小次郎と長門の船島で試合した巌流島の決闘は時代劇などで広く知られている。だが手元の日本史年表などで調べると、巌流島の決闘は載っていないことが多い。(「日本史年表・地図」(吉川弘文館)「コンサイス世界年表」(三省堂) ) 信頼できる史料が乏しいことによるものである。決闘の期日も慶長17年説、慶長19年説など諸説ある。「二天記」には「慶長十七年四月」と記されているので、1612年4月13日とするのが一般的である。巌流を俗に佐々木小次郎と当てているが、これも後年の芝居で名づけられたもので根拠はない。中条流富田勢源の弟子であったことから武蔵よりだいぶんと高齢であったと考えられる。いずれにしても歴史学では決闘が実際に行われていたかどうかを確認することはできないというのである。漁業権をめぐる漁師たちの争いが武蔵・小次郎の決闘となったのではないかと専門家は語る。とかく伝説というものは、年代を経るにしたがって変貌していく。宮本武蔵は「五輪書」に人生に六十余度の勝負をして一度も負けなかったと記しているが、相手の中で大家といわれるものは吉岡一門だけで剣聖どころか田舎剣客にすぎない。講談や小説で武蔵はいちばんの剣豪にまつりあげられたといえる。

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コメント

武蔵と小次郎の決闘も曖昧という歴史家・・ですか。歴史はロマンも消してしまうか・・。

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