プロイセン王国とチューリンゲン諸国
ドイツは領邦国家の分立する国であったが、1815年から1833年までの動きをみる。
1815年のウィーン体制下にドイツ連邦が成立して、ドイツは再び反動的な領邦分立の状態に置かれた。プロイセン王国、テューリンゲン諸国、ザクソニア王国、バヴァリア王国、バイエルン王国、ウェルテンベルク王国、ナッサウ王国、ルクセンブルグ公国、メクレンブルグ公国など12ヵ国が存在した。これらの諸国は君主家の断絶などによって徐々に数が減り7ヵ国となった。なかでもシュタイン・ハルデンベルクの改革で国力を充実したプロイセンは自由主義的改革を推進し、1833年にはオーストリアを除く諸領邦が参加してドイツ関税同盟が形成された。
なお現在のルクセンブルク大公国の国家元首はナッサウ・ヴァイルブルク家が世襲するルクセンブルク大公である。(世界史)
« 「ラブラブ」の語源は「ラブラブショー」か!? | トップページ | ローマ教皇・レオ10世 »
「世界史」カテゴリの記事
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
- ハーグ密使事件(1907年)(2024.02.10)
コメント