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2014年10月29日 (水)

農耕生活への移行

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    これまで稲作は紀元前5世紀ころから、朝鮮半島を経由して日本に伝えられたと長年考えられてきた。しかし近年になって、定説より500年ほど早い、紀元前1000年ごろに伝わったと考えられるようになっている。稲作は主に西日本に定住した弥生式土器をつかう人々、つまり弥生人であるが、彼らがどこから来たのか明らかではない。ひどく面長でのっぺりした顔つきの高身長が特徴である。山東半島から遼東半島を経由して朝鮮半島に伝わるとする説、長江下流域から直接日本に伝わったとする説である。つまり縄文人と弥生人は日本列島に共存していた時代があることになる。そしてこれまで縄文人は狩猟・採集生活を送り、作物栽培はしなかったと考えられていたが、1992年に発見された青森県の三内丸山遺跡の出土品からはクリが重要な食べ物で、マメやエゴマ、ヒョウタンなどと共に栽培が行われていたことがわかった。またニワトコなどの植物を使い、果実酒を製造していたことも明らかとなっている。

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