熊本時代の夏目漱石
夏目漱石(1867-1916)とラフカディオ・ハーン(1850-1904)という明治を代表する二人の文化人の奇妙なすれちがいはよく知られている。
ハーン(小泉八雲)が松江から第五高等学校(現熊本大学)の英語教師として転任してきたのは明治24年11月19日のこと。3年後の明治27年10月、熊本を去り、神戸へ移る。漱石が松山から熊本五高に赴任したのは明治29年4月のことである。この熊本時代、漱石は貴族院書記官長・中根重一(?-1906)の娘・中根鏡子(1877-1963)と見合い結婚している。漱石29歳、鏡子19歳。「俺は学者で勉強しなければならないのだから、おまえなんかにかまってはいられない。それは承知していてもらいたい」といっている。おそらく漱石は文学の方面で一流の学者となり、大きな仕事を一つ完成して、その余力をもって、人生論的な、あるいは社会時評的な文章を自由に、発表してゆきたいと思っていたのであろう。まだ作家生活に関心をもっていなかったようだ。
熊本五高における漱石の教授法は、なるべく早く多くの英書を読めるようにすることにあったようである。生徒から「先生もう少し詳しく解釈して下さい」といわれると、漱石は、「お前たちがそんな風だから、いつまでも、上達しないんだ。もう、中学生じゃないぞ」と怒鳴りつけて、相変わらずきびきびした授業ぶりを続けていた。熊本五高時代、漱石の教えを受けた者には、寺田寅彦(1878-1935)、白仁三郎(のちの能楽評論家・坂元雪鳥、1879-1938)などがいて、俳句の指導も受けている。英語研究のため、現職のままで二年間のイギリス留学をしている。(明治33年9月から明治36年1月まで)
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