エウダイモニア(良く生きること)
現実主義のアリストテレスによれば、人間は常に何らかの「善」を求めているという。われわれが求める「善」には大別すると3種ある。そのひとつが「有用さ」である。すなわち、これは他のものを求める手段として役立つよさである。それに対して、それ自体が目的となるような「善きもの」として「快楽」がある。しかし快楽は最も低俗な善である。最後に、もつとも価値が高いものとして「最高善」がある。これこそが「eudaimonia」であり、人間を人間たらしめているもの、至上の価値である。それは、人間にのみそなわった理性の活動の完成によって実現する。
以上のようなことが、アリストテレス「二コマコス倫理学」に記されている。アリストテレスによれば、幸福とは快楽や名誉や富などを得ることではなく、人間にとって最高の目的は人間らしく生きること、すなわち、他の生物にはない人間独自の機能である理性を存分に働かせて、それに従って魂が活動することであると説く。この思想は当時の哲学者に共通な考え方であったことは、いうまでもない。だから哲学者は、単に事物を説明・解明するだけではなく、純粋な思惟を求める者で最高善に一番近い者であるというのである。
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