ヴァチカンとコンスタンティヌス帝
ヴァチカンという地名は、ヴァティカヌスの丘に由来する。2千年前のこの地区がどんなふうだったかを考えるのには、空想が入り込むかも知れない。テヴェレ川右岸はマラリアの危険性のあるところで人の住める所ではなかったが、次第に豪壮なヴィッラ(別荘)がいくつか建てられていった。ヴァチカヌスの丘とジャニコロの2つの丘にはさまれた平地に、ネロ帝の競技場が造られ、その中央に、カリグラ帝がエジプトのアレクサンドリアから運ばれたオベリスクを建てさせた。64年から67年にかけての迫害で、ペテロは多くの信者たちとともにこの競技場で殉教した。そして、すぐ近くの小さな墓地に埋葬された。326年にコンスタンティヌス帝によってペテロの墓所となる聖なる地に最初の教会堂が建てられた。やがてこの地に住んだローマ司教が教皇として強い影響力を及ぼすようになると、ヴァチカンはカトリック教会の本拠地として発展するようになった。ユリウス2世からパウルス5世まで18人の教皇のもとで大聖堂が建設された。
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