足利義政と東山文化
応仁の乱前後、室町幕府の権威が失墜し不安定な世相を呈したが、足利義政とその周辺に、公家、僧侶、武家、町人など、従前にみられないほど広範な階層が参加できる場がつくられ、伝統的な公家文化と武家文化、禅宗思想を基調とした宋文化、庶民文化などが融合した文化が形成された。義政が東山に営んだ山荘・銀閣で数寄的生活を過ごしたことから東山文化と称する。東山文化の特徴は、物のあわれ的優美に基調するところの浪漫的な美と禅的な幽玄枯淡の美の結合といえる。義政の宗教観には根底に浄土救済のようなものが流れ、その上部が禅的な幽玄枯淡なものがあった。無文元選、寂室元光、遠渓祖雄、復庵宗己、義南、碧岩璨などの元朝系の念仏禅的なもの、あるいは幻住派僧の隠遁思想が少なからず影響していた。参考:芳賀幸四郎「東山文化の研究」 1945
芳賀は東京文理科大学をへて東京教育大学教授・文学博士。著書に「東山文化」(塙書房)・「千利休」(吉川廣文館)・安土桃山時代の文化」(至文堂)など。兄が買ってきたシグマ・ベスト「簡約日本史」も著作のひとつ。
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