カチンの森事件はスターリンが命令
旧ソ連のスモレンスク市近くグニェズドヴォの近郊の森で、スターリン時代、第2次世界大戦中にソ連当局が捕虜のポーランド人将校、警官ら4000人以上を銃殺して埋めた事件。1943年に同地を占領したナチス・ドイツ軍当局がその遺体発表したがソ連当局はかかわりを否定し、戦後も真相はふせられてきた。ゴルバチョフ政権のもとで、ソ連、ポーランド両国の歴史家の共同調査が実施された結果、当時3つの収容所にいた約1万5000人のポーランド人将校らの大半が消息を断ち、この蛮行の責任がベリヤ(当時の内務人民委員=内相)らにあることをしめす資料が発見されたとしている。これを「スターリン主義の犯罪」と認めたソ連国営タス通信社の声明が1990年4月に発表された。2010年11月には「カチンの犯罪はスターリンや他のソ連指導者の直接の命令で行われた」と認める声明をロシア下院は賛成多数で採択している。
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