ディック・ミネの父親
創成期のテイチクレコードの立役者である歌手ディック・ミネの父は厳格な教育者であった。三根円次郎(1873-1935)は東京帝国大学哲学科を卒業するときは歴史学者・黒板勝美に次ぐ成績だったという。謹厳な教育者として、佐賀、徳島、山形、新潟、高知のーなどの旧制中学校で校長を務めた。晩年は緑内障で失明している。
ディック・ミネが中学生だったときに、父に「哲学って、何だい?」と質問したことがある。「どうして、そういうことを訊くんだ」「だって、おとうさんが哲学をやってたって聞いたから」「おまえには向いてないよ」「どうして?」「どうしても」「そういうこといったて、聞いてみなきゃ、ぼくに向いているかどうかわからないじゃないか」「アタマが混んがらかるから、やめといた方がいい。おとうさんは、そういうおまえを見たくないよ」「じゃあ、混んがらならないように、ちょっとだけ」仕様がないな、なんてブツブツいいながら、父は色紙を持ってきて、「じゃあ、ホンの初歩だけだよ」といって、色紙を指差し、「おまえには、これは何色に見える?」「アカ」「じゃあ、これは?」「ミドリ」「これは?」「黄色」「ほう、おまえにはそう見えるのか?」「決まってるじゃないか。色盲じゃないもん、ぼく」「ところが、ちがうんだよ。おまえはこれを赤色に見えるっていったけど、哲学では青色といってもいいし、白といってもいいんだ」「・・・・・・?」「これをいまみんな赤色といっているけど、最初に赤色とつけたヒトがたまたま赤色とつけたから、みんな赤色といっているにしか過ぎないんだ。最初に青色とつけたらこれは青色だし、白とつけていればみんな白といっているはずだ。だから、これは赤でもありうるし青でもありうるし、白でもありうるんだ。これはひとつの例だけど、こういう風に物事を突きつめて考えていくと、世の中のことがまるで分からなくなってしまう。人生不可解といって華厳の滝に飛び込む人も出てくる。こういうことを考えるのは、おとうさんだけで沢山だ。お前は突きつめるタイプじゃないし、第一、頭の構造がそうなっていない」「・・・…」「哲学とはそういうものだと、知識として知っていればいい。おまえは別の道を行きなさい。ただできることなら、何をやってもいいから、法律に違反しないで、いい仕事をして、私を飛び越えて行きなさい。そして、おまえも自分の子どもに、親を飛び越えて行けというようにするんだ。そしてさらに、その子がまた同じことを子どもにいう・・・それでいいんだよ」(参考文献:ディック・ミネ「あばよなんて、まっぴらさ」)
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