鷗外「かのやうに」論
森鷗外の随筆に「東洋学者に従えば、保守になり過ぎるし、西洋学者に従えば、急激になる。現にある許多の学問上の葛藤や衝突はこの二要素が争っているのである。」とある。晩年の鷗外は保守と革新で揺れていたものの、東京帝国大学をでて、陸軍軍医総監にまで登りつめた鷗外は保守穏健にならざるを得なかった。小説「かのやうに」のテーマは、歴史学における神話と科学の調和である。主人公の五条秀麿は、日本古代史の研究を生涯の仕事にしようと思い定め、ドイツに留学し、近代歴史学の方法を学んでいた。わが国の歴史は戦前においては天孫降臨神話から始められていた。即ち神話は絶対的に歴史に重なっていた。歴史学を専攻する秀麿には、学者の良心として、そのような立場を是認することはできない。だがしかし、天孫降臨神話を否定すれば、日本の大切な「御国柄」の根本が失なわれてしまう。秀麿はノイローゼに陥るという話。
鷗外はドイツの哲学者ハンス・ファイヒンガー(1852-1933)の「かのやうにの哲学」(1911)を読んで、これを解決に使おうと考えた。ファイヒンガーによれば、すべての価値は「意識した嘘」の上に成立している。即ち「かのように」(ジイ・フィロゾフィイ・デス・アルス・オップ)という仮定の上に立っている。幾何学でいう、線とは長さだけあって幅はないという仮定。あるいは、点とは位置だけあって大きさはないという仮定を考えてみるとよい。幅のない線や位置だけあって、大きさのない点などは実際に存在しないが、そういう点や線を、あるかのように仮定しなければ幾何学は成立しない。この「かのように」理論を、主人公がファイヒンガーから借用すれば、神話は事実ではないが、事実であるかのように扱うことによって、「御国柄」と矛盾しない歴史学が構築できることになる、そういうことに気づいて、小説が書かれた。だが、そのような折衷案的な態度は保守からも革新からも不評で、晩年の鷗外は大きな悲劇を招いてしまう。
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